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2021年10月3日日曜日

【カブールの本屋 The Bookseller of Kabul アフガニスタンのある家族の物語】アスネ・セルエルスタッド著 江川紹子訳 イーストプレス 2005年7月15日第1刷

アメリカ軍のテロ組織掃討作戦でタリバン政権が倒れた後のアフガニスタンで本屋(著作権も何も規制がないので海賊版の出版業を含む)を営む男と、その家族の生活を描いたノンフィクション。

タリバン政権下で禁止されていた音楽や動物や人の写真の印刷された書籍、女性の労働などが解禁されても延々と続いてきた社会の習俗は残り、それがまた今タリバン政権が復活する要因となっている。そんな風に感じました。

著者は非イスラム教徒の白人女性であるため、女性としての立場とは別に、男性の中に入っていっても排除されることはなかったと言います。

そうした状況でその家族の話を聞き、取材したもので、その家族の長であり本屋の主人は敬虔なイスラム教徒であるわけではありませんが、イスラム教の家族の在り方にこだわります。女性たちも、そうあるべきと考えながら、しかし理不尽さも感じています。

男性の立場からすれば家族を守っている。女性の立場から見たらモノや召使のように扱われている。

宗教の如何にかかわらず、父権の強かった時代、どこでも同じような事があったのでしょう。男女、それぞれの役割が分かれている社会では、そうなるのかもしれません、

また、強すぎる一族主義は対立を生み武力を容認する社会は変わらないんだろうな。

女性を大切にしない社会は女性が埋めれることを良しとしない世界。でも、イスラム社会だって女性がいなければ存在できないのです。

それぞれがそれぞれを尊重できる社会が生まれなければ、争いも終わらないと思うのですが。

2021年5月11日火曜日

【酒の飲みようの変遷】柳田國男 著1939(昭和14)2月「民族と酒」として発表

 これが書かれた時代、日中戦争の頃に酒の乱用が起こったという状況が背景にあったとのことで、柳田國男と同じ民俗学者である折口信夫の研究者 長谷川政春が次のようにこの論を要約しています。

「一つの盃による仲間うちでの廻し飲みが、平素の結束を確認するのに役立っていた。だから酒は近世以前には、一人で飲む風習がなかった。したがって、小さな猪口が出現するのは新しいことであった。また毎日飲むこともなかった。元来、神祭りに神と一つに連なることを求めて神に供え、その後に頂いて飲むものであった。ところが四斗樽の発明による運搬の容易さ、可能になった貯蔵、飲む機会の増加、その上に前代よりも味も色もよく、酒の質も上がってきたために嗜好品として迎えられるようになった。ここに酒の乱用の条件が揃ったわけである。それゆえに、飲酒の変遷を捉えて、どうあるべきかの回答を捜さなければならない。と結ぶ。」(遠野物語 集英社文庫1991年12月20日第1刷 解説より)

「元々たいしてうまくなかった酒は、神や人との結びつきのために飲んだものであり、みんなで飲むのが当たり前であった。美味しい酒が造られるようになり、またいつでも飲めるようになったわけで、酒は何のために飲むべきなのかをちゃんと考えるべきだ。」という事なのだと思います。

そして次のような文で締められています。

「いつも民間の論議に揺蕩せられつつ、何らの自信もなく、可否を明弁することすらもできないのは、権能ある指導者の恥辱だと思う。」

柳田國男は貴族院書記官長や国際連盟委任統治委員などを経験していますから、政府について歯がゆい部分があったのでしょう。ひょっとすると、酒にかこつけてこの一文を書いたのかもしれません。

その指摘は現在の新型コロナウイルス対応に通じるものがあり、人はなかなか進歩しないものなのだなと実感します。


2021年4月27日火曜日

【THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本】ブレディみかこ著 新潮社文庫 令和2年1月15日発行 令和2年11月15日7刷

 著者は日本で生まれ、音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返して現在はイギリスで保育士をしているとう方。Yahoo!ニュース|本屋大賞2019ノンフィクション本大賞受賞作品で息子の体験や感じたこと描いた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」をとても興味深く読みました。(その息子に自分が言った言葉を本のタイトルにして…と突っ込まれたとか)

さて、この作品は20年ぶりに日本に長期滞在し取材をしてイギリスと日本の違いを人権や格差という視点からルポルタージュ。

人権は英国では誰もが生まれながらに持っているもので、子供でも主張するのが当たり前。日本では権利を主張する前に義務を果たせと言われ、自立しなければ主張してはいけない義務とセットで捉える人が多いと語られています。

“はじめに”で著者は日本でも存在しながら目を背けられていた貧困層の生活の体験について語ります。一億総中流と言われバブルに沸いた時代に貧困家庭に生まれ育ち、定期代を稼ぐためにアルバイトをすれば、先生から「そんな家庭があるわけがない」と否定される。

著者のプロフィールには音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し’96年から英ブライトン在住とありますが、そんな世界がThe Blue Heartsの「TRAIN TRAIN」の歌詞“弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く”を体感していたのかもしれません。

そんな経験をした著者はイギリスで保育士の資格を取る中で身に着けた人権意識の目で日本を見ます。

イギリスでは階級意識が高く社会が分断しているのですが、一方それがゆえに労働者階級にお金がないという事は恥ずかしいことではなく、お金がないと高らかに言える。「貴様らがしっかりやってくれないから、末端は苦しいのだ」と政府に拳を上げる。

今や問題から目をそらし続けてこじらせた日本と、旧態然とした階級闘争を繰り広げるイギリス。どちらがいい悪いではなく、こちらがこうで、あちらはこう…という区別。

その比較論という事になると思います。


2019年12月8日日曜日

Abduction: The Megumi Yokota Story - めぐみ-引き裂かれた家族の30年 監督, クリス・シェリダンパティ・キム 2006年ドキュメンタリー作品 Safari Media

1977年11月15日朝、いつものように学校へ出かけた当時13歳の横田めぐみさんが忽然と姿を消した。以来、手がかりを得られないまま、娘の無事だけを祈り続け、娘を取り戻すための果てしのない闘いを続けてきた横田さん夫妻。そして、ついに北朝鮮工作員による“拉致”という驚愕の事実が明らかとなる。国家や政治家の思惑が絡むことで横田さん夫妻の闘いはさらなる困難に直面してしまう…。本作は、そんな横田さん夫妻の存在を知ったアメリカ在住のジャーナリスト夫妻が、横田さん夫妻の愛と勇気に心打たれフィルムを回し始めた感動のドキュメンタリー。」allcinema online

なぜ日本人が日本で作らないのかという理由が拉致問題の解決が遅れてしまった原因の一つなんだろう。
2003年に作られた劇映画「LAST SAMURAI」を観て、なんで日本人がこういう武士道を捉えた作品を作らないのかっていう人がいたけれど、あちらはお雇い外国人から見た国のお話。
この拉致の問題は日本人の話だ。
人権という人類共通のテーマではあるけれど、それを作ろうと思わない何かがあるのではないだろうか。
ドキュメンタリー映画はお金と時間がかかるけれど報われない。
なぜなら、多くの人が関心を持たないからだ。
まして政治案件になれば意図しない攻撃を受けたり一方的な不利益を受けることがあるかもしれず、不当な目にあっても誰も関心を持たないものであればやるだけ損。
SNS上でのいわゆる炎上や、無くならないいじめ…そういうことにも通じるけれど、人権を守るということへの意識の希薄さ、関わり合いを持ちたくないという酷薄さが根底にあるのかもしれない。
そんな国で、家族を拉致された人たちの思いは本当に切ない。

2017年1月28日土曜日

【もう話そう 私と巻原発住民投票 計画白紙撤回まで34年の回顧録】 高島民雄 著 発行:現代人文社 発売:大学図書 2016年11月18日第1版第1刷発行

東北電力による1971年の巻原発建設計画正式発表から2003年の白紙撤回まで34年。
高校まで余裕で30Km 圏内に入る所に住んでいたけれど、白紙撤回のニュースを聞いたのは、そこを離れ大学を卒業し、東京で就職してずいぶん経ってから。まだやってたのか…というのが正直な感想でした。
小学生の頃、大好きだった担任の先生が休んだので、どうしたのって訊いたら巻原発反対のデモ行っていたっていう記憶があって、その後家族旅行で行った鬼首で地熱発電の事を知ったりいろいろな発電方式があることに興味を持って、夏休みの自由研究の題材にしたしりて子供心になんで原発なんかに拘るんだろって思ってた。

 34年間と言えば、当然な事ながら、その年に生まれた赤ちゃんが34歳。大学卒業した年なら56歳で、会社員ならもうすぐ定年。そんな長い間、反対運動に関わるというのはすごいこと。
人は変わるものだし、巨額の利権が絡む原発建設ともなれば一筋縄ではいかないのは想像できる。その内幕が垣間見れるというのはとても興味深い。
 著者は弁護士という職業からか、主体的にかかわったことを公平に書こうと心がけて書いておられるようだけど、立場が変われば評価も変わるものだから、想像力を働かせて読んでみて欲しい。
 人が生きるという事は綺麗事ばかりではないけど、それでもやらなきゃいけないことをどうするか。
 フィクションとは違う実際の人間というものが立ち現れてくると思う。

2016年4月13日水曜日

新潟県の来年度新卒採用予定アンケートから思う事

今日の新潟日報朝刊に新潟県の主要140社の来年度の新卒採用予定のアンケートが出ていました。
 今年度と較べて増やす予定があるのは33.6%。増減は別として採用人数が多いのはコメリの大卒200名、短大100名、高卒20名。県内最大手の第四銀行は大卒+短大卒120名、他に100名を越えるのは東北電力の130名だけど、東北電力の本社は宮城県なので県外での勤務者が多くなりますよね。

一方、来年どれだけ新卒者がいるのかと想像すると、そりゃ新潟にはいないよねって思います。大手だけが就職先ではないけど、新潟の主要企業と言っても全国レベルで大手と呼ばれる会社は一握りだし、雇用条件はお世辞にも良いとは言えません。
雇用条件に関して言えば、 私が新潟で就職先を探すと言った時にハローワークの担当者は「労働時間も長いし賃金も高くないですよ」とお勧めしない様子でした。まあ生まれ育った所だから知ってるんですけどね。
新潟に引越して、行政が少子高齢化や人口流出の阻止の対策をしているニュースを見て、外からそういう目で見られている事を知っているんだろうかと感じます。
新卒偏重と言われる日本の雇用システムで、企業の新卒採用が少ないとなれば、土地に魅力を感じるか、財産があるか、家庭の事情がある人以外は新潟で就職しようと思わない人が増えるのは当然の話です。

採用計画に関わった経験から言えば、新卒採用予定者が多いか少ないかは会社の規模や事業の将来性や戦略によるところですが、業績が苦しくてもゼロにしないのが理想だと思います。それには社内の世代間ギャップを減らす事、将来の会社運営に対するリスクヘッジという意味があります。
逆に言えば、新卒採用人数の増減が景気の現況と関連づけられる経営の信頼性は高くありません。会社のこれからを考える時に今の景気に左右されて考えるのはあまりにも危ういからです。
最初に挙げた会社は事業規模も大きいですし、今後の事業計画から必要な計画だろうと思います。
多くの企業で求められるのは即戦力なわけですが、いきなり即戦力になるケースなんて特殊なケースですから誰かが人を育てなければならなりませんが、今の会社はそれを放棄している所が多いのです。
求人しても採用しないのは求めるレベルの人が応募してこない→その業務がうまく回らなくて思ったような成績が上げられない→会社の業績が上がらない→労働条件の改善がされない→求める人が応募してこない…
地域を発展させるには、そういうスパイラルから逃れるにはどうするのか考える必要があります。
新卒採用の情報は、そういう観点から見るのが正しいんでしょう。

2016年1月10日日曜日

新潮20016年2月号

第二次大戦(大東亜戦争)の最中、当時日本の占領下にあった北京で発行されていた現在では存在が知られていなかった月刊誌「月刊毎日」という雑誌が発掘されたとか。
読んでみる。
このレベルが日本国内で出版が微妙だったのかと思い、やりきれない。
大佛次郎さんの作品は今でも飛んでいるのかもしれないけど発表を云々するレベルではないし、他の作品なんてこの程度の作品がと思うとやりきれない。これを肯定すると、逆に近しい人を亡くして娯楽小説が読めるのかって反問が返ってきそうな空気だったのか…そういう事を意識しながら読む。
自分ならそういう空気の中で書けたのか。そう問いつつ、書いた人の作品を味わおう。

自分の受けた教育レベルで言えば、旧かな遣いではあるけど声に出すイメージで読めば不自由はないはずだよ。
自分には、何でこれが自由に出版できないと思ったのか。その空気がイタい。

2016年1月7日木曜日

【大震災 欲と正義】 荻野アンナとゲリラ隊 著 共同通信社 2011年6月14日 第1刷発行

2011年3月11日に発生した東日本大震災。
その日、自分は東京都調布市の事務所のデスクでいつもの通り仕事をしていた。
揺れてるなと思ったがいつまでも揺れが収まらなくて、社長の後ろのキャビネットを見ると大きく揺れていた。本人は呆けたようにじっと座っていたが、ヤバいから壁から離れてと言った覚えがある。
一旦駐車場へ避難した後、被害の無い事を確認していると、誰かが高さ30mの津波がっ…て言った。
30cmの間違いだろと言ったが、実際に被災地では高さ30mの津波の津波が襲った地域があったんだ。
その日は電車が止まっていたし、帰れないお客さんもいたしで泊り、よく日の朝帰った。
JRはまだ動いてなくて、東横線も各駅停車のみ。よく晴れた土曜日の朝、家に帰ったのを覚えている。
中目黒では電車の窓越しに、店の中で寝ている人が見えたっけ。

あれから今年で5年が経とうとしているけど、普通に暮らしている自分達の意識に震災の事がのぼる事は少なくなった。
世の中はアベノミクスによる景気問題や東京五輪の話題、次々と新しい話題が出てきては消える。
復興税も個人分はまだあるが、法人分はとっくに期間前倒しで終了している。
この間は震災復興工事で不適切な施工があったと問題になったけど、そんな事でもないと話題にならなくなっている。
そんな事を感じて自戒と共に読み返してみた。

この本は、震災が起きた後、4月と5月に著者が取材したものをまとめたもの。
被災地の悲惨な状況は、ひしひしと伝わってくるが、同時に生き残った人たちの姿、気仙沼高校の避難所の人々の人間模様が描かれている。
①動かない善人よりは、動く悪人
②善意で手を伸ばし、欲でつかむ
頼りになるのは綺麗事を言って動かない人より、自己中心的でも動く人なんだ。
それは平時でも同じ。
エピソードは悲惨だけど、人の行動をまわりに落とし込んでいくと、驚くほど一致する。
人間は何があっても変わらないと気付かせてくれた。

この本の印税は必要経費を除いて寄付に回るという。
Jリーグでは募金を募っているクラブもあるし、川崎や仙台のように被災地でイベントを仕掛けるクラブもある。
何かできる事はないか、もう一度考えて実行してみてもいいんじゃないかな。
とにかく、忘れてはいけない。

2013年12月31日火曜日

【そして日本経済が世界の希望になる】 ポール・クルーグマン 著 監修・解説者 山形浩生 訳者 大野和彦 2013年10月2日第1版第1刷 PHP研究所

巻末には、この著作は訳者の大野和彦氏によるクルーグマン博士へのロングインタビュー、その後のEメールなどでの質疑応答を通じ、日本のみの発売を企図されたものである事が記されている。

本文中にも言及されているようにクルーグマン博士はアベノミクスの行方を非常に注視している。
それは、自らの主張を実行しているから。
ポール・クルーグマンといえば、一般的には2008年にノーベル経済学賞を受賞したことで知られているけど、その経済理論はとてもわかりやすく、個人的に日本で多く知られるようになる切っ掛けとなったと思う山形浩生氏の砕けた訳文は、経済学を学ぶ人にはお勧め。

彼の立場は、いわゆるケインジアン。もう何年も台頭しているメインストリームの新自由主義の経済学者とは相容れない。しかしニューヨークタイムズ紙にコラムを持ち、マーケットにも影響力を持つと言われる経済学者。
その政策がおひざ元のアメリカではなく日本で取り入れられるのは、やはり新自由主義の影響の強い世界と、新自由主義とのバランスを取ろうという日本の立場の違いなんどろう。
市場経済は万能ではないが、公共セクターによる適切な介入により成長を継続できる。
プライマリーバランスなんて、好況時に考えればいい事で、日本が今考える事ではない。
デフレ脱却には政府と中央銀行が一体となったインフレ期待継続が重要。中央銀行の独立性なんて意味ない。
その立場から日本の財政健全化政策、消費税増税には批判的。

自分的には、今のデフレは技術革新と経済のグローバル化による世界的な価格均衡の大きな流れの中の現象じゃないかと考えている。
だから消費を刺激すると言っても、革新的な消費するに足りる物が出てこない限り簡単には行かないぞと思うし、政府が賃金引き上げを叫んでもそういった事情で収益が上がらない企業には無理という話ではないかと。

この著作は、過去の著作の内容と被る部分が多いけど、ちょっと興味あるなと言う人は読んでみたらどうだろう。

新書版で手ごろな厚みだし。

【顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い】 さかき漣 著 三橋貴明企画監修 2013年11月26日第1版第1刷発行PHP研究所

今、議論されているグローバル化、自由化について、極端な舞台設定での物語。
グローバルを名目に中国・韓国・北朝鮮と合併し、第3地域と呼ばれ、実質中国の支配下になった日本。中国で発生した分裂騒ぎに乗じて独立をかちとった日本の革命指導者は選挙で圧勝し、参議院廃止、首相公選制実施、道州制導入を実現する。
1院制となり歯止めを失った議会は歯止めを失い、カリスマ性を持った革命指導者の下、急激に自由化を推し進める。
公共サービス、国防すらも民営化され、道州制により財政も分断された地方はどんどん荒廃して行く日本。
その現状は、自分達が目指した日本ではないと、革命組織のメンバーは再度革命を目指す…
ストーリーはそんな感じ。
小説としては、お話の骨格はともかく、キャラクターの描き込みや展開の描き方は、ちょっと出版するレベルにはないと思う。言葉の誤用もあるようだし、これは編集者にも問題がありそう。

ただ、提起された問題は大切な事であることには変わりない。
自由化について語られる際に忘れられがちなのは、自由には自己責任がつきものという事。
決して、自由化することで不利益を被る人がいるという視点だけで語ってはいけない。
コストダウンには、それが可能なだけの理由があるので、デメリットも小さくないという事。

そういう事を忘れたポピュリズムは顔のない独裁者になるという訴えは、その通り。

2012年8月23日木曜日

【不況をさっさと終わらせろ End This Depression Now!】ポール・クルーグマン著 山形浩生訳 早川書房 2012年7月25日初版発行

タイトルからして分るとおり、クルーグマンは今の状態を終わらせる方法が分っていると思っている。
ニューディール政策並みのインパクトを持った公共セクションの投資。
しかし、彼には見えない壁があって、その政策はとられない。
そのイライラがタイトルになっているんだろう。
本当に読み進めているうちに、クルーグマンのフラストレーションが身にしみる。
でも、それが正しいかどうかは、分らないんだけどね。
理屈の上では正しいとは思うけれど。

なぜその政策がとられないのか。
彼ほどの経験と能力があって分らないのに、自分が分るとは思えないけど、そこにあるのは自由主義型資本主義の自己弁護性だと思う。
つまり、こういうルールでこうするって言っているのに、そのルールから逸脱した行為を行う事は許さないって事。
銀行の自己資本比率はX%であれば適正であるとか、こういう債務比率の国家は健全ではないとか。
本当に大切なのは数字じゃなくて、その数字がおかれている状況なんだと思うけど、“それって数値化が出来ないから投資判断が下せません。数値に基づかないで投資して失敗したら説明が面倒だし、みんなそういう事にしておこうよ”っていう投機家たちの暗黙の同意。
つまり、実際にどうなっているのかを追求するんじゃなく、こういう事で有ればこういう事にしようって公式を使う事にしている。だから、正解かもしれないけど、それと違う事はさせないんだよって事。
面倒な所は端折って、美味しい所だけ持っていこう。
TPPとか言っているくせにナショナリズムが台頭してたりするという矛盾に満ちた状況を説明するのは、こういう事だろうねって思っている。
「単純なルールを使って、自分だけお金儲けしたい。だから余計な事をするんじゃない。」

2011年9月5日月曜日

タケダワイナリー

昨晩、行きつけのワインバーで、サッカーの天皇杯の話をしながら飲んでいた。
他のお客さんが、本日のお勧めスパークリングワインのタケダワイナリーをオーダーしながら、いつまで飲めるのかねぇって言ってたのが気になって調べてみた。

まあ、タケダワイナリーと言えば山形県の老舗ワイン製造業者。山形と言えば高畠ワイナリーもあるけど、こちらのほうが古いのかなって程度の認識。
個人的には、ここのカヴァは、ジュースっぽくてあまり好みじゃないけど、洞爺湖サミットでも出されたっていうから評価は高いんだろう。

で、最初の話。
自然農法で作られているここの畑の近所にゴミ焼却場が計画されていて、出来てしまえば、土壌汚染の心配等で自信を持ってワインを作れなくなるから廃業せざるをえなくなるって事らしい。
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/haut-pont/t/takedawinery_03.pdf
自然農法が偉いのかって思う人もいると思うけど、まあそれはそのワイナリーの方針で、ちゃんと評価を得ているのだから、周りがどうこう言うものじゃない。
一方で、ゴミ焼却場の話も住民にとっては深刻な話。誰も引き受け手が無いから、住んでいる人が少ない所にって話になったんだろう。

電気は必要だけど、原子力発電所はうちの近所はダメだよっていうのと同じ話だね。
誰かが犠牲にならなきゃいけないっていう発想はイヤだけど、現実そうなりつつあるっていう事が透けて見える本当にイヤな話だ。

まずはゴミを減らそう。
それから処分場で処理する有害物質を含むものの消費量を減らそう。
鉄道各社が節電ダイヤを元に戻すことを検討しているってニュースもあったけど、今のダイヤで不自由あるのか?(個人的には不自由ない。鉄道の相互乗り入れも多少不自由だけど無くたって全然構わない。)
そもそも15%節電出来ちゃうって、どれだけ無駄な事やってたんだ。
みたいな事を、ちゃんと考えてみてほしい。

2011年8月28日日曜日

アポロにて

昨日は、久しぶりに大学時代の友人2人が横浜にやってきた。
目的は野毛の三陽の餃子とバクダン。そして福富町に出来た『BAY BREWING YOKOHAMA』の地ビール。
三陽は、別館で軽く済ませ、地ビールへ。
まずは日本の地ビールの草分け的存在サンクトガーレンに敬意を表してアーバンエール。
で、さっぱりしたモノって事で妙高高原ピルスナー。
食べ物は、焼きベーコンと水ナスとラスポテト。
で、水ナスである。
ただ手で裂いただけの那須なんだけど、さっぱりしておいしい。
裏技としてはちみつもって持ってきてくれたんだけどさ。どうなのよ、ナスにはちみつ。
食べたけど、個人的にははちみつの味が勝ち過ぎてたな。
しかし予想していたより意外と有りかもという感じ。

その後、焼き枝豆が食べたいというリクエストにお答えして伊勢佐木町の庄や。
庄やかよって言っても、店はどこにでもあるけど、このメンツで食うのが美味しいわけで。

適当に酔っぱらって、曙町のアポロへ。
団体さんも入っていて、結構混んでいる。
カウンターに3人並んで座ったんだけど、自分のお隣さんはスタジアム帰り。
話を聞くと、いつも通りベイスターズは負けたらしい。
このおじさんは、被災地へボランティアに行ってきたという事で、復興はまだまだ進まないという事を話していた。
そうか。そうだよね。
あれだけの大災害の後片付けが半年もたたないうちに終わるわけがない。
泥や瓦礫は、道路のふちまで運ばなきゃ回収してもらえない(それはそうだ。そんなに大勢で回れるわけ無いし。)けど、それを運ぶ人がいないとか、モノはあっても収入が無いから買えないとか。
仕事も忙しいだろうけど、ボランティア、行ってみなよって言われた。
確かにその通りなんだと思う。募金して終わりじゃない。
行かなきゃって思う。
そういうお話が出来るバーって、素晴らしい。

しかし、沢山の募金が集まって、まだ分配しきれていない。福島県が多すぎたって赤十字にお金を返したってニュースもあったけど、そういうお金で瓦礫処理の組織を作って、仕事を失った人たちの一時的な仕事場を作るとか出来ないかなって事も思う。
そういう事を企画立案するのが政治や行政の役割じゃないかな。

2011年8月27日土曜日

【歴史でたどる領土問題の真実 中韓露にどこまで言えるのか】 保阪正康 著 朝日新書 2011年8月

北方4島、竹島、尖閣諸島の領土問題を歴史文献から紐解き、そもそも領土と主張する根拠は何なのか。どう考えるべきなのかを考察した本。

漁業資源や埋蔵資源が無ければ、また政治的思想的対立が無ければ問題なんて起きなかったんだろうね。
北方領土問題はスターリンの領土拡張政策が無ければソ連の犯罪行為で不法占拠される事も無かったわけだし、竹島は李承晩ラインという排他的経済水域を韓国が設定しなければ尖鋭化しなかった問題。
尖閣諸島に至っては、埋蔵資源が無ければ中国は関心も示さなかったもの。
ただ、主張があるという事は、それが歴史の解釈の相違でも、後付けでも、犯罪行為の結果でも、裏付けがあるという事で、裏付けを持っているのは、理解しなければならない。
この本では、現在の領土問題は第2次世界大戦の処理で米ソ中の政治的駆け引きで、日本領土の範囲を明確に定めなかった所に原因を求めている。
領土とはどのように決められるのかというのは、原理原則や正論の問題ではないと思う。そこには国や個人の利益が密接に絡んでくるからだ。
利益の独占や優先的権利。
今の世の中では変えられない事なんだろうな。
そして、日本という国と国民が不利益を被らないようにするには、国民が、そこがなぜ日本の領土なのかの論拠を分っておく必要がある。
(お国がうちの領土だと言ってるからなって言葉で、みんな一致できるレベルの国なら、それはそれで良いんだろうけど。)

2011年8月19日金曜日

夏が行けば秋が来る 秋が行けば冬が来る

いや、別にポエムってるわけではありません。
月曜日に、いつも使っている、みなとみらい線元町中華街駅で“あなたがつける募金賞で東北の被災小学生へ冬物Tシャツ5000着を送る事が出来ます。”ってチラシを見かけたから。
http://www.japaninstitute.jp/ybatc/
手にとって見たら、もう終わったイベントなんだけど、募金事業は12月末日まで行っているとか。
このTシャツのセンスがあまりにも酷いとか、趣味に合わないとか、素敵過ぎて見てられないとかは置いておいて。また、この募金を募っている団体がちゃんとしてるかどうかは、自分で調べていただくとして、赤十字なんかに寄付していつ役に立つんだかって、やきもきするよりは、こういう使い道がはっきりしたモノの方が気持ちいいかも。
あ、それは募金する側の自己満足って話か・・・気をつけよう。

今回の震災で判ったのは、足りないモノは赤十字なんか当てにしてたら手遅れになる。緊急な時は現地と協力したボランティアや自治体窓口が一番ってことかなって思う。
未だに集めた募金は日本赤十字を通じて被災地へって、やってる方々も募金は手数料抜かれて、散々遅れて到着するって事を承知の上で、やる分には素晴らしい事だと思う。

今日は暑さも一休み。
秋から冬にかけて出来ること、考えてみよう。

2011年8月9日火曜日

世界同時株安に思う

大体、株安ってなんだよ。エクイティ・ファイナンスやらなきゃ関係ないんじゃねぇのって思ったりもする。
アメリカ国債の格付けが下がったって、アメリカが破産するのかよw
でも、株価や格付けってのは企業や国家の価値を決めるものって定義になってるから、こいつが下がると評価も下がるっていうストーリーを、株屋さん達は用意している。
株価が下がると、どういうデメリットやリスクがあるかと言えば、正直な話、
1.転売目的の下種な株主から、まじめに株価を高く維持する経営をしろっていうクレームがやって来る。タイミングが悪いと株主総会は大荒れw
2.ファンドや商売敵や新規参入を狙って事業者から買収攻勢をかけられるかも。その場合は経営陣の入れ替えや従業員の整理なんてケースも有り。
ってところだろうか。
国債の格付けなんてもっと曖昧で、AAAがAA+になったて、返済が滞るわけでなし、実質の影響は全くなしでしょ。
とは言っても、今までの株価が妥当だったかどうかなんてわからない(経営指標なんて後付けの理屈だもん)し。
まあ、株式投資だけやってりゃ、ここ数日で相当額が市場に溶けてなくなったって事になるんだけど、そこいら辺の投機マネーが円やスイスフランや金なんてところに逃避してえらい事になってるねってのが今の状況か。
円が高くなりすぎて政府が介入したけど、そんなもん、国際的な合意がなきゃ長く続かないなんてのは誰だって知ってるよね。
じゃあ、本当に円高を回避したけりゃどうするか。
高い円で、欧米の資産を買いまくればいい。
政府も為替に直接介入するくらいなら、企業の海外投資に補助金つけて(ついでに雇用を義務付けするとか)超低金利で融資して海外進出の後押しをすればいい。
そうすれば、欧米も、ちょっと待てよって感じで本腰入れて為替対策してくると思うよ。
海外企業の株価が割安なうえに円高だったら、どんどん海外の有力企業を買収しよう。
絶対に、円安誘導してくるはずだと思う。

こうなった問題の原因は、為替取引の自由化だと思う。
実需に基づかない為替取引って、経済活動とは言えないじゃない。
それをFXとか言って一般の人々に向かって商売をしているわけだけど、実体経済とギャンブルが一緒くたになって為替バランスが崩れ、正常な企業活動が行われなくなっている。
ギャンブルで得たお金を、またギャンブルに回す。そのツケはまともに商売をやってる所にも回ってくる。
分りやすい原因だと思うけど、G7とか経済主要国の蔵相会議でも、その問題は触れられないタブーなのかね。

コメの先物?
8割くらいコメを押さえてる農協が参加してない試験運用なんか、話題作り以外の何物でもない。
取引の透明性とか寝言言ってるけど、じゃあ誰がいくら買い占めましたって、市場に報告するの?
みなさんの投機の結果、こんな金額になりましたっていうだけでしょ?
それは透明性とは違うから。
農協がやってる分には、少なくとも農協が決めた。何かあれば、悪いのはあいつらだって、はっきり透明化されてるでしょ。
本導入されたら、悪いけど、政府は国民の生命を守るって事をマジで考えてるとは思えない。
だって、食い物をギャンブルの対象にするわけでしょ。
小麦くらい生産地が多様化して、生産量も多ければ成り立つ可能性もあるけど、パイの大きさを考えなよ。

2011年8月6日土曜日

モラルのない世界経済

3.11の大震災、福島原発事故、この間の新潟・福島豪雨による水害。
これだけの災害に見舞われ、多くの人命が失われ、健康が損なわれ、または損なわれつつあり、政治は混乱を極め、経済は停滞している。

自分が働いている業界も、これまでの所、売上が前年比7割程度じゃないかと言われていて、経営体質の強化という名目のもと、事業の集中化・整理が行われている。
まあ、事業の選択と集中なんて、業績が悪い時に決まって出で来るお題目だけど、震災の時にリスクの分散化って言われていた通り、選択した事業が間違っていたら自爆する訳で。
(事業と立地って違いはあるけどね。)
うちの業界だけじゃなく、多分日本の企業全体がそんな状況なんじゃないかなって思う。

そうした中で、資産を持って運用している人たちは、景気状況とは関係なくやり方によっては、景気に左右されず利益を上げている。
でも、今のように産業界全体が冷え込んで来て、世界同時株安といった状況になったときは、とりあえず交換手段である通貨のレート差に目をつけて、そっちで利益を上げようと考えるのは自然の流れだと思う。
だって、そういう市場があるんだから。
そういう流れで、今の円高があるんだと思う。
アメリカやユーロ圏の経済を立ち直らせるため、日本には犠牲になってもらうという側面もあるかもしれないけど。

でも、考えてほしいのはお金でお金を儲けるという生産性の無さ。
為替取引ってのは、多国間の貿易決済のリスクヘッジとしてなされてきたもの。
そこに今のような投機マネーが流れ込んでくれば、安定した貿易が成り立たなくなり、企業の株価もますます低迷するというスパイラルにはまってしまう。
そういった投資家は自分で自分の首を締めている事に気が付いているだろう。
それでも、自分だけ沢山利益を上げて、自分だけ贅沢な暮しが出来れば、他人や自分の子供の事なんてどうでもいいと考えているんだろうか。
みんながやっている流れの中で、自分だけが降りる謂われはないという群集心理なんだろうか。
投資を業としている会社は、仕組みができちゃっているから止められないって事があるだろう。

金融部門の規制緩和は行きすぎた。社会的人間として、倫理観を持っているのであれば、投機としての為替取引は規制すべきだ。
自分はそう思う。
外国がやってるから乗り遅れたら大変な事になる。
そう言って規制緩和をしてきたけど、諸外国に説いて止めさせるべきだったんだと思う。

神の見えざる手とか言って、規制なんてない方が良いって極端な言い方をする人もいるけど、アダム・スミスだってグラスゴーで道徳哲学の教授をしていた人だから、その経済の参加者のモラルの前提というのがあるわけで、現在の社会は、その前提を満たしていないでしょ。

2011年6月18日土曜日

IMFと消費税

国際通貨基金(IMF)の対日審査長を務めるプラダン・アジア太平洋局上級顧問らが、「日本における消費税引き上げ なぜ、いつ、どのように行うか」と題した報告書で、具体的に日本に対して現在5%の消費税について、「景気回復が見込まれる2012年から段階的に引き上げ、2017年に15%にすべきだ」との提言を発表したとのこと。
理事会決議を経た正式な提言ではなく、IMFスタッフの見解との位置づけらしいけど。

提言では、増税措置のなかで、消費税引き上げが最も適していると指摘している。
理由として、経済モデルを通じた分析で、
・消費税が経済成長に対する悪影響が最も小さい
・課税ベースが広い
・先進国のなかで日本の税率は低い方で課税余地が大きい
などを挙げてるということだけれど、税というのは、その国の社会習慣や仕組に寄り添っていかなければならない。

税で社会を変えるということはできると思うけれど、それはやって良い事ではないだろう。
それは税の役割ではないし、その決定プロセスにそれを妥当とさせる手続きを備えていないからだ。
それをやるのは政治の役割だけど、今の政府にそれが出来るのか。
この報告書のように安易に消費税上げに走っているようにしか見えない。
というか、財務省あたりがIMFにこうしたレポートを出させたなんて事もなくも無いのかなって感じる。なにしろ外圧に弱いというお国柄だけに。

まじめに政策について考えれば、“日本の”消費税は、税負担が税額的に公平というだけに、可処分所得の少ない層の生活を圧迫する。
そういった部分は、社会保障で賄えという提言でもあるらしいが、社会保障の仕組みを作るにもコストがかかるし、仕組みには漏れや抜け穴が出来るもの。
まして、そういった仕組みの実施が増税のタイミングでされればよいのだけれど。

生活のキャッシュフローという面から考えれば、増税した分、様々な社会サービスの無料化を行わなければ生活弱者を生み出すだけに終わるんじゃないだろうか。
生活の支出は、平準化できるモノとできないモノがあるのだから、一定額をキャッシュで支給するなんて子供手当みたいなマヌケな政策じゃ駄目。
でも、税が上がる以上、生活費を納税と同時に軽減させるか補助するかする方法をちゃんと考えなきゃ。
こういう事を、経済の理論モデルをこねくり回している人たちや、歳費をたっぷりもらって生活に困らない政治家の 方々が真剣に考えることが出来るんだろうか。

IMFについては、このブログで以前【世界を不幸にしたグローバリズムの正体】という本を読んだ際に多分UPしていると思うけど、まあ当てにするのが間違いくらいのスタンスを持って見るべきだと思っている。
彼らの政策が失敗しても、彼らの責任が直接問われる事はないしね。
ましてや、最近の専務理事選のニュースなんて眺めていると、完全に利権構造があるとしか思えない。
そんな機関の言うことなんて100%聞く耳持つ必要無いだろう。

政治家については、政治家は国民のレベルを越えられないっていう事もあるわけで、自分たちがもっとしっかりしなきゃいけないんだろうなという事を考えて、このブログを書いている。

2011年6月9日木曜日

政府の節電方針について考える

ま、原子力発電所が止まって、発電量が減っているわけだから節電するのは当然かって思う。

でも、一律15%の削減目標(罰金付)ってのは違うと思う。

常日頃から節電に取り組んでいる会社と、節電なんてどこ吹く風で電気を使いまくる事が前提となっている会社や、電気を使わせることで利益を得ている会社が同率?
まともなアタマなら、そんな発想出てこないと思うんだけど。
普段から節電している会社の15%と、意識もしていなかった会社の15%って全然難易度が違うじゃん。

本当に電気の使用量を減らすなら、(この震災で痛いほど明らかになった)実のない番組を垂れ流すテレビ局(あのレベルじゃ、いっそ合併させてチャンネル数を減らすとかもアリか)を輪番で止めるとか、節電期間中みたいに電車の直通運転を取りやめるとか、やってみたらいい。

別にテレビの放送時間が減っても生活に関係ないし、電車の直通が無くとも、めんどくせえなって言って乗り換えればいいだけって、この前までやってたし。

今、第1優先は国民の生活を止めないで電力供給をするって事だろうから、当面、テレビ局には時間を決めた停波時間を割り当てるくらいの事はやるべき。
エレベーターやエスカレーターを使う事が大前提となているビルの保有会社は、もっと大量の節電が可能のはず。
電気代にかける税率を上げて、増えた税収を復興財源にって手もある。消費税を上げるより、よっぽど公平感があると思うけどね。食費は切り詰めの限度があるけど、電気は使わないで済ます手は有るモン。

そういう検討もしない(していても明らかにしていないの?)で電気使用量一律15%削減、消費税増税なんて決める政治家も半分に減らせば、国会の運営費も、議員宿舎の電気代も随分減るんじゃないだろうか。

2011年5月31日火曜日

ちょっとまじめに税とか社会保障とかを考えてみる

震災だ、原発だ、放射能だってとんでもない災厄に見舞われている間に、財政再建と社会保障の拡大なんかを目的とした税制の見直しがされていた。

年金に所得上限を設けてってのは、理解できる。
(それ以上稼ぐ予定なんだから年金払わないって言う人も出てくるだろうけど、そういう人は、多分もともと払う気が無い人だろう。予定は未定だし、自分が稼いだ金って言っても誰かに稼がせてもらった訳で、そこの所のモラルのない人って、根本的に信用できない。)

で、問題は消費税率の引き上げだ。

年金が年額60万円台って人がいるってのは、つまり月額5万円台で生活している人がいる訳で、家賃負担が無いものとして、消費税を5%から10%引き上げたら47,619円の可処分所得が45,454円となり、2,159円減少する。
つまり、月収の4.3%使える金額が減るって事。つうか、5万円を30日で割ったら1,666円だから1日分以上の生活費が消える事になる。
これで、その財源を社会保障に回しますって、初めっから持っていかない方が良いんじゃね?
だって、分配する間にいろいろ抜かれちゃうわけでしょ。
で、どうやっていくら分配されるのかも分んない。
まして、被災者の方は収入が無いって方もいらっしゃるわけで。

社会保障の財源って言ってるけど、多分生活者いじめにしかならない。
試しに、提案した学者さんたち、月10万円(年金生活者の倍額だよ)で生活してみればいい。
消費税の1%がどんな重みを持つか分ると思う。

じゃ、どうすんだよって話だけど、消費税って広く浅くってのが特徴の税金なわけで、国によっちゃ食料品は非課税とかもあるとか。

昭和の時代に物品税ていう、消費財別に税率を変えて税金を取るってめんどくさい仕組みがあって、それだけじゃ税収が足りないからって、国民みんなから税金を取ろうって消費税が始まった。
いずれ10%とか20%とかになるんだよって、導入された当時から言われてたと思う。
でも、それって生活必需品を非課税にしないととんでもない事になるってのは自明の話。
逆を言えば、生活必需品の品目をピックアップして非課税に。宝石とか別になくても生活に支障が出ないようなものや、タバコとか健康に害のあるものは50%とか、200%とか税金をかければ良い。
該当産業が衰退するとか、税率をめぐった汚職の温床になるとかって話もあるかもしれないけど、対策は立てられる(万全ではないかもしれないけど)し、餓死者や自殺者が出たりするよりはよっぽどマシだ。
徴税コストもかかるかもしれないけど、それに雇用が生まれるようにすれば悪い事だけじゃないだろう。
なんて。発想はないんだろうかね。