2011年8月6日土曜日

モラルのない世界経済

3.11の大震災、福島原発事故、この間の新潟・福島豪雨による水害。
これだけの災害に見舞われ、多くの人命が失われ、健康が損なわれ、または損なわれつつあり、政治は混乱を極め、経済は停滞している。

自分が働いている業界も、これまでの所、売上が前年比7割程度じゃないかと言われていて、経営体質の強化という名目のもと、事業の集中化・整理が行われている。
まあ、事業の選択と集中なんて、業績が悪い時に決まって出で来るお題目だけど、震災の時にリスクの分散化って言われていた通り、選択した事業が間違っていたら自爆する訳で。
(事業と立地って違いはあるけどね。)
うちの業界だけじゃなく、多分日本の企業全体がそんな状況なんじゃないかなって思う。

そうした中で、資産を持って運用している人たちは、景気状況とは関係なくやり方によっては、景気に左右されず利益を上げている。
でも、今のように産業界全体が冷え込んで来て、世界同時株安といった状況になったときは、とりあえず交換手段である通貨のレート差に目をつけて、そっちで利益を上げようと考えるのは自然の流れだと思う。
だって、そういう市場があるんだから。
そういう流れで、今の円高があるんだと思う。
アメリカやユーロ圏の経済を立ち直らせるため、日本には犠牲になってもらうという側面もあるかもしれないけど。

でも、考えてほしいのはお金でお金を儲けるという生産性の無さ。
為替取引ってのは、多国間の貿易決済のリスクヘッジとしてなされてきたもの。
そこに今のような投機マネーが流れ込んでくれば、安定した貿易が成り立たなくなり、企業の株価もますます低迷するというスパイラルにはまってしまう。
そういった投資家は自分で自分の首を締めている事に気が付いているだろう。
それでも、自分だけ沢山利益を上げて、自分だけ贅沢な暮しが出来れば、他人や自分の子供の事なんてどうでもいいと考えているんだろうか。
みんながやっている流れの中で、自分だけが降りる謂われはないという群集心理なんだろうか。
投資を業としている会社は、仕組みができちゃっているから止められないって事があるだろう。

金融部門の規制緩和は行きすぎた。社会的人間として、倫理観を持っているのであれば、投機としての為替取引は規制すべきだ。
自分はそう思う。
外国がやってるから乗り遅れたら大変な事になる。
そう言って規制緩和をしてきたけど、諸外国に説いて止めさせるべきだったんだと思う。

神の見えざる手とか言って、規制なんてない方が良いって極端な言い方をする人もいるけど、アダム・スミスだってグラスゴーで道徳哲学の教授をしていた人だから、その経済の参加者のモラルの前提というのがあるわけで、現在の社会は、その前提を満たしていないでしょ。

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