今年から始まった新潟国際アニメーション映画祭。
国内で大ヒットしたアニメーション映画から、あまり知られていない海外の作品、現在制作準備中の作品のパイロット版まで幅広く集めた興味深い映画祭でしたが、その中からこの作品を。
“当初、2021年の公開が予定されていたが、2022年初夏に延期され、5月28日に公開された。海外では日本公開前の2020年から各国の映画祭などで上映され、日本では2021年11月3日開催の東京国際映画祭のジャパニーズ・アニメーション部門で初公開された。”というWikipediaの説明を読んで、アニプレックスとアスミックの力を以ってしても配給が難しかった映画なんだろうなと納得してしまいました。
ジャンルとしてはミュージカルアニメ。
南北朝時代に実在した近江で活躍した猿楽能(現代に伝わる能が成立する以前の形)の名手で、犬王道阿弥という人物がいます。この人物は1408年に足利義満が小松天皇を北山殿で饗応した際に催された宴に呼ばれて舞っていることが記録に残っているといいます。
実在した犬王がどのような容姿であったかは分かりませんし、どのような舞を舞ったかもわかりませんが、この作品では当代一の舞手になりたいという父親が欲望で呪力を持つ古い面(多分猿の面で、犬王の父や犬王が猿楽師であったことにかけてあると思います。犬と猿はは仲が悪いと言いますが…)に願をかけた結果、母の胎内で異形の姿となった犬王として描かれます。
そして、壇ノ浦の漁師子供で、訪ねてきた武家の依頼で壇ノ浦の戦いで海中に没した天叢雲剣を引き上げた呪いで父を失い、目が見えなくなった友魚(ともな・琵琶法師となって友一、改名して友有)という歴史に名の残っていない一人の少年~青年を創造して物語を回していきます。
犬王の父がライバル視した藤若(後の世阿弥)の曲は現在まで伝わりますが、犬王は名が伝わるのみ。もちろん友魚・友一・友有という名は伝わりません。
亡霊となった友魚の父が、友魚が琵琶法師として友一の名を授かった時に「名を変えると見つけられなくなる。お前は友魚だ。」というシーンは、作品の最後に現代に彷徨う亡霊となった友魚を見つけた、やはり霊となっているだろう犬王が「名前を変えたから見つけるまでに時間がかかった。」というところにつながります。名にこだわるのは、お互いを見つけるためで、歴史に名を残すためではないという事でしょう。
わたしたちが知らない失われた物語は無数にある。失われたものを自由に再構築して描くというのがテーマなのかもしれませんが、それだけでは「音楽やアートワークが面白かったな」で終わってしまった気がします。
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