2023年1月2日月曜日

【最後の一句】森鴎外

 


 ストーリーを要約すると、死罪を申し付けられた父の命を救うため、事の次第を書き父の代わりに自分たちを死罪にしてくれという16歳の娘と、その14歳の妹、死の意味さえ分からないであろう8歳の妹、6歳の弟の嘆願書に、跡継ぎにするためにもらわれてきた皆が死んでしまえば人だけ生きていても仕方がないという血のつながらない12歳の弟。

奉行は刑の執行日を延期し、その後に行われたに行われた特赦で死罪を免れて所払いで済むという物語。

森鴎外 最後の一句 (aozora.gr.jp)


 タイトルの「最後の一句」は、白州で言った16歳の長女いちの「お上の事には間違いはございますまいから」というものですがそれは

 “心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、人に教唆けうさせられた、おろかな子供の影も殘らず、只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。元文頃の徳川家の役人は、固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又當時の辭書には獻身と云ふ譯語もなかつたので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒ほこさきは、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。”

と描かれています。

 大岡政談のようなものであれば情に訴える“親孝行なあっぱれな娘”と描かれるのだと思いますが、森鴎外は情に訴えた結果ではなく、役人を戸惑わせて刑の執行を先送りにした結果、特赦を得ることが出来たとしています。

 それは一つの孝行談ではありますが、軍医として官僚組織の中に生きる著者の、情けより合理性で機能し、そして戸惑う事があればとりあえず先送りする官僚システムについて描いたものともいえるでしょう。

 また、思春期特有の周りや結果を顧みず自分の思う事にまっすぐ進む性質(自分の死だけではなく分別のつかない幼い妹弟まで巻き込む)と、それに対峙した理性ある大人のとまどいの物語とも読めます。

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