他人は他人、自分は自分でいれば誰も傷つかないけれど、その相手が家族で会ったり学校の仕組みであったりすればそうもいかないもの。まず相手が自分の正しさに従わせようとしてくるものです。
この作品は、ちょっと他から違うと見られた経験があれば、誰もが経験することを、対立ではなく許容の物語で描いています。
他人を傷つけることが目的で生きている人はいないという性善説の、本質的にはやさしい人たち物語でもあります。
「ケケケ」というのは、感覚過敏で生きづらさに苦しむ高校1年生、主人公あまねの母親の笑い声からのネーミングで、何らかの部活に所属しなければならないという校則から、好きな事をする(あるいは何もしないで休む)という趣旨で設立した同好会の、顧問になってくれる先生が「ケケケ同好会」と聞いて勘違いした「ハレ(非日常)とケ(日常)」の言葉を聞いてこじつけた理由を持っています。
そんな同好会に、いろんな理由で部活に所属できない生徒が集まりますが、一旦は認められた同好会も、生徒会長が変わると規則が変えられて廃会に。
生徒会長は、自分の挫折の経験から何か成果を出すことがためになるという考えを持っています。
生徒会長になればルールを変えられる…力を持てば変えられると言えば嫌らしいけど、何もしなければ変わらないと取ればポジティブとも言えるでしょう。
あまねはいろんな部活を転々とし、1年後に生徒会長に立候補して当選して入学式で挨拶をします。
物語はとても面白く前へ向ける作品だと思います。
ただ、おそらくあまねの感覚過敏は、おそらく精神的な要因からのものですが、病理的な要因で苦労している人もいるわけで、そういうエピソードを足してあげれば完璧。というか、ドラマというのは誰でも見て楽しめるものですが、最近は要約サイトや倍速での視聴で短絡的な見方をする人が増えた印象があるので…というのは心配しすぎでしょうか。
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