風姿花伝の著者 世阿弥は、現在の能楽の完成者として知られ、風姿花伝は室町時代の観世流の伝書ですが、「初心忘るべからず」や「離見の見」、「秘すれば花」という言葉などその理を解いたもので、一つの哲学書と捉えられることもあります。
能を知らない自分にも納得させられることもありますし、謡曲名作として選ばれている「忠度」、「井筒」、「隅田川」、「船弁慶」と言った作品の、夢幻能と呼ばれる生者と死者の交わる作劇手法は現代に通じるものがあると思います。
しかし、あからさまに観客を選別する姿勢は現代の日本とは相いれないかもしれません。
また、作劇しない演者に対する評価も低いものです。それは、世阿弥の時代は生きた能であったものが、現代の能は昔を伝える遺産の能に変容している…いや、時代とともに変わるべきものが、世阿弥というカリスマに縛られて変わることが出来なかったのかもしれません。見方を変えれば、それで時代に淘汰されずに昔の姿をとどめることになったとも言えるでしょう。
世阿弥の能は、貴人に観せることを第一としていましたが、それが逆に権力者から疎まれると活躍の場を奪われることになり、本人は佐渡に流されてた以降の消息は分かっていません。
しかし、その在り方が期せずして現代のブランディングのような効果を発揮したのだと思います。
世阿弥と、その流れを汲むの作品が今日まで残って演じられているのは、しっかりとした方法論を持っているからなのだろうと感じます。
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