著者の禅寺の小坊主時代と、作家として名を遂げて軽井沢で暮らす日々の料理のお話。自然はなんと豊かなものか、料理とはいかに手間がかかるのかとあらためて感じました。
「何もない台所から絞り出すことが精進」とはよく言ったもので、今の普通の家の台所ではたとえ食材が有っても十分にそのおいしさを引き出すことが出来るか。この本を読むと、個人的には自信がありません。
1月 くわい
2月 山椒
3月 高野豆腐
4月 山菜
5月 竹の子
6月 梅
7月 茄子
8月 奴豆腐
9月 松茸
10月 地梨子
11月 栗
12月 馬鈴薯
それぞれの月に他の食材もありますが、筆頭に挙げられている食材は上の通り。いちいち調理方法に手が込んでいて美味しそうです。まあ、現在では9月の松茸は高価すぎますし10月の地梨子は手に入れるのが難しいでしょうけど。
精進料理は、本来高価なもの、手に入れることが難しいものは使わないのが当然なので、今なら何が選ばれるのかな…さらに言えば、くわいや高野豆腐も今では産地が限られるもので、くわいなんて食べたことない。高野豆腐とか吸い物かあんかけでしょ。みたいな人も多いのではないかと思います。
精進料理というテーマなら、その季節に簡単に手に入る食材が基本。で、その季節をどう飽きないで過ごさせるか(お坊さんなら飽きたら修行が足りないと思うのですが)が腕の見せ所です。
読んでいると、ああなるほどと思う事が多いですが、日常的にそこまで手を入れるほど時間が取れないなあというのが正直なところ。精進料理は、人の時間という貴重なものを惜しげもなく使う高級料理なんだなと気づきました。
しかし、生きるために関係ないことに時間を費やすより、このようにいかに満足した食を得られるかに時間を費やすのが人間の本来あるべき姿であると言われている気がします。
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