12月の読書会で読んだわけですが、全員一致で、これを子どもに読ませるか…という感想。
「老いた猟師が家族を養うために熊を殺し、町の商人(荒物屋)に安く買いたたかれて貧しい生活を送り、最後にはクマに殺される。熊は猟師に殺される存在だが猟師が好きで、猟師は決して熊が憎くて殺しているわけではない。」そんな物語を絵本にして、絵本の読み聞かせ年代の子どもに何と教えたらいいのでしょうか。例えば、なぜ熊が自分たちを殺しに来る猟師の小十郎が好きだったのか、物語からは納得がいく説明は尽きませんし。
宮沢賢治はこの作品を通して誰に向かい、何が言いたかったのか。
多分、狐けんの話が一つのポイントなのでしょう。
狐けんとは、じゃんけんに類似した指や腕を使って勝敗を争う遊技で、向かい合って正座した2人がお互いに,キツネ・猟師・庄屋いずれかの姿勢を出し合うもの。キツネは両手を開き耳のあたりに上げてキツネの耳の形にし,猟師は両手で握り拳をつくり鉄砲を構えるようにし,庄屋は両手を開いてひざの上に置く。キツネは庄屋を化かして庄屋に勝ち,猟師はキツネに勝ち,庄屋は立場が強いので猟師に勝つ。いわる循環構造。
この物語では猟師と熊、荒物屋と猟師の関係はそのままに、荒物屋と熊の関係はありません。
一人、荒物屋が利益を得る形で、関係がピラミッド構造になっています。
ピラミッド構造なら、下にいる者は上にあこがれを持つこともあるでしょう。
宮沢賢治の時代も社会は資本主義まっしぐらで、富める者は貧しいものから搾取してますます富んでゆく。いや、現代より社会福祉が整備されていなかったために、より深刻な生き死にの世界があったのではないでしょうか。
そんな社会を童話というカタチで描いたのではないかと感じられます。
命のやり取りという点に注目すれば、自分たちの命は他の命の犠牲のもとに成り立っているんだよという読み方が出来ますし、子供向けのお話では説明しやすいでしょうが、それではほんの一面だけの話で、そこで完結してはちゃんと考える事を放棄させることにもなりかねない。つまりは片手間で話すには向かない物語なのではないかな。
しかし、書き出しが「なめとこ山の熊のことならおもしろい。」
本当に、どういう読者を想定して書いたんでしょうか。
賢治が亡くなった翌年(1934年)、童話集として出版されたのが初出という事ですから、その形の出版が作者の意図に沿ったものであったかどうかは分からない気もします。
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