今夏、SF小説を原作とした映画が2本公開されました。
1本はSF界の巨匠ロバート・A・ハインラインが1956年に発表した「夏への扉」。東宝/アニプレックスの邦画界ではメジャー中のメジャーの製作配給です。
もう1本は2011年に発表した短篇「紙の動物園」でヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞という史上初の3冠に輝いたケン・リュウの短編「円弧」を原作とし、ハリウッドメジャーであるワーナーの日本支社が手掛けた「Arc」。
作品の発表年が55年も違いますし、アプローチも違いますが、時間がカギになっている点では同じ。
映画を観る前に、その原作を検討してみようと思います。
個人的には「夏への扉」の映像化は意味がないと思っていたものの一つでした。
初めて読んだのは中学生の頃で、当時は“SF小説におけるタイムパラドクス”の問題を考える材料。物語としては古典的な勧善懲悪をコールドスリープやタイムマシンというSFならではの道具を使って描いたもの。主人公になついていた自分を裏切った親友の義理の娘と結ばれるという結末を肯定する世界観は、好意的に見てあまりにイノセント。常識的に見てまだ子供である親友の娘とコールドスリープを利用して結婚するというモラル的にどうなのか。
タイムパラドクスというSFファンお馴染みのお題の他に、この作品の一番の売りは、タイトル通り主人公の愛猫“ピート”が部屋にある扉の一つが夏へと繋がっていると信じているという語りだと思っています。
映画の予告編を見ると、イノセント度全開なようで、今なぜこういうものを作るのか逆に興味が…
一方、円弧(アーク)は、時間により変わるもの、変わらないものを通して幸福について考えさせる物語。不老不死は幸せなのか、主人公の女性の一生をもとに考えます。
人の命には限りがあり、生まれてから死ぬまで一つの弧なのだというのがタイトルの意味。不老不死と言えば、古代中国、秦の始皇帝の命を受けた徐福は不老不死の仙薬を求めて旅立ちますし、日本では人魚の肉を食べて不老不死となった八尾比丘尼伝説が有名。徐福は戻りませんでしたし、八尾比丘尼伝説も肯定的な生き方としては捉えられていないと思います。
不老不死が当たり前になったころに生まれた人はまた感じ方が違うだろうというエクスキューズを置いて、彼女は老いて死ぬことを選択します。
文庫で54ページほどの短編ですが、映画は127分。原作では16歳で妊娠出産してから100歳を過ぎて老いて死ぬことを決めて死ぬ主人公を、この映画は芳根京子さんが一人で演じたことを宣伝として押し出していますが、原作を読めば一人でやる方が自然ですし、そこを話題にされると逆に中身に期待できないのかなという感じもします。
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