2021年6月4日金曜日

【最終飛行】佐藤賢一著 文芸春秋 2021(令和3)年5月25日発行

 サン=テグジュペリと言えば、多分本を読まない人でも「星の王子様」の作者として知っているでしょう。母国フランスでもEU以前、通貨にフランが使われていた頃、50フランの紙幣に彼の肖像と小さな王子様の絵が描かれていました。



童話作家かと言えばそうではなく「夜間飛行」や「人間の土地」で職業飛行士としての体験をもとに人を深く洞察した作品を残した作家。第二次大戦でナチスドイツの侵攻とその傀儡政権となったフランスのヴィシー政府に対し祖国フランスを取り戻すために従軍し、偵察飛行中、フランス奪還直前にナチスドイツの戦闘機に撃墜されて未帰還となった飛行士。

そう書くと、ロマンチックで悲しい物語を期待してしまいますが、この物語で描かれる姿はとても共感できる人物とは言えません。

ここで語られるテグジュペリは自己中心的で周りをあまり顧みない話好きなフランス貴族。自分が悪くとも、それはそれとして他人の落ち度を言い立てるスタイルは、普通人に好かれることはないと思います。

しかし、彼の周りには多くの人がいます。嫌われていればそのような事はないと思うのですが、なぜ彼の周りに人がいるのか。高名な作家で利用価値があり、気前がいいというだけでは説明できないでしょう。その言動のニュアンスやボリューム感なのだろうなと思います。

戦争で飛行機に乗って人の役に立ちたいと言っても、施設を破壊し人を殺す爆撃機ではなく、自分を守る火器を持たない偵察機での飛行にこだわるのは自分でそういう直接的な行為をしたくないという自分を優先しています。下手をすれば自ら敵に回したドゴール派からの彼が予想する粛清を逃れるためで、人のためではない…人は良い面・悪い面の両方がありますから、良いところだけつまんで書いていないのはフェアと言えるでしょう。

ただそれが過ぎてしまうと読んでいて共感や感情移入が出来ない(資料であればそれでよいのですが)作品になります。実在の人物を描くというのは難しいものだと思います。

さて、タイトルである「最終飛行」について。

「最終」というのは「本日の最終便」など、既に終わりが定まっているものの一番最後という印象があり、仮にサン=テグジュペリの未帰還になった飛行について指すのだとすれば適当ではないなと思っていました。物語を読めば、なるほど「最終飛行」は「最終飛行」で間違いではないのだなとは思います。

そういう意味で、本のタイトルとしてふさわしかったかどうか。


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