2021年4月15日木曜日

【野坂昭如戦争童話集1,2】 文:野坂昭如 絵:黒田征太郎 新潮社 1995年6月25日発行

 収録作品

戦争童話集1

・小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話

・青いオウムと痩せた男の子の話

・干からびた象と象使いの話

戦争童話集2

・凧になったお母さん

・年老いた雌狼と女の子の話

・焼け跡のお菓子の木


すべての作品は「昭和二十年、八月十五日」で始まっています。

その日から70年以上の月日が流れ、戦争の記憶を持つ人が少なくなってその人との会話でリアリティを感じる事が少なくなった現代、童話として子供に聞かせても、それだけでは理解できないし伝わらないのではないかな。

実際に体験した当時の状況からの創作。それはその当時の状況を想像できるだけの知識が必要なのだと思います。童話であれば、それとは別に心を捉える設定がある方がよかったのかもしれないと思います。

そういう意味で、この童話集は当時子どもだった、あるいはリアリティを持って読むことが出来る大人に向けての童話集なのかもしれません。


・小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話

戦争の悲しさを描く作品群ですが、この作品は異質です。他の作品が残された人のお話なのですが、この作品は戦地でのお話。

しかもクジラの勘違いによる恋のお話で、それによりクジラは死に潜水艦の乗組員は生きる選択をするのですが、そこから何を感じるのか。

少し調べると2回映像化されているのですが、一つの作品はこの作品には登場しない少年とクジラのエピソードを加えているようで、作品の取り扱いのむずかしさが伺われます。

 この作品については、このブログで別に取り上げていますので、興味のある方は読んでみてください。


・青いオウムと痩せた男の子の話

・干からびた象と象使いの話

 お父さんの南方土産だったオウムは人の言葉をまねて鳴きますが、一人ぼっちになった男の子に慰めを与えても、結局は空襲で何もかも失った男の子の命を救うことは出来ませんし、オウム自体も生きられません。

 戦争状況の悪化から目をそらすために殺される動物園の動物たちの中で、大きくて賢いためになかなか殺すことのできない象と、その象を助けて逃げる象使いも、人目を避けて生きるにしても食料がなければ生きることが出来ません。

 何もなければ幸せの象徴となりえたオウムや象も戦争の中では不要なもの、邪魔なものとされ、その身近にいる者は幸せだった時間を当然のものとして忘れられずに、一緒に滅んでしまいます。


・凧になったお母さん

 空襲による火災から子供を守るために火に囲まれた中で子供に自分の汗や乳を与え、干からびたように死んでいったお母さんが凧のように空へ飛んでゆく。

母親が命を懸けて守った子供も、焼け跡で助ける人もなく母親と同じように空へ飛んでゆきます。童話的と言えば童話的な発想ですが、とても悲しいお話ですね。


・年老いた雌狼と女の子の話

 満州でソ連軍の侵攻から逃げて朝鮮半島へ向かう日本人の一行の中で、麻疹にかかってしまった小さな女の子は治療ができず、他の子どもに感染させるのを防ぐために、どうせ助からないものとして置き去りにされます。

そこで出会った年老いたため群れから離れて死に場所を探していた雌狼を、飼っていた犬と思い込んで話しかけます。狼は自分を怖がらない女の子を救おうと群れに戻ろうとしますが、日本人にみつかり、子供をさらったものと誤解されて射殺されます。

撃った人が近づくと女の子はその時すでに息絶えていましたが、からだに噛み跡がないことを不思議に思います。

残りの子どもの命を思い女の子を置いていくしかなかった母親と、置いて行かれた女の子を救おうとする雌狼の母性のお話。単純に、女の子を置いて行った母親(自分の子どもも他に2人います)が薄情という事では片づけられません。子どもを中国の家庭に預けて帰国するという事は頻繁にあったようですし、戦争中で治療を受けさせられない事情があれば、置き去りにすることもあったでしょう。


・焼け跡のお菓子の木

 焼け跡に立っている大きな木。その葉を子ども達が食べると、とても柔らくておいしいへでした。

 子どもたちは南洋にパンの木があるということを聞き知っていましたが、パンより美味しい葉を持つこの木をお菓子の木と呼びます。

 この焼け跡には依然裕福な大きなお屋敷があって、そこに暮らしていた母親が体の弱い息子のために何とか手に入れたバームクーヘン。その最後のひとかけらをもったいなくて食べられないうちに、空襲で起きた火事を消そうとした母親はそのまま亡くなり、母親を待っていた息子もやがて亡くなります。

 バームクーヘンの最後のひとかけらがお菓子の木になり、そしてそれは大人には見えないというお話です。

 戦争がなければ普通に食べることが出来たはずのお菓子。大人たちは甘くておいしいお菓子の記憶を持っているけれど、その時代の子どもたちには決した食べることが出来ない、知ることもできないものを、バームクーヘン(木の年輪のようですよね)から生えた甘い木の葉(子どもたちはお菓子を知らない)という物語に仕立てたのだと思います。


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