野坂昭如さんの戦争ものと言えば「火垂るの墓」が有名。
あの作品も語り手が死んでいること以外、作者の実体験と言われる戦争の事実を淡々と描いているだけと言えばその通りですが、それにしてもこのクジラのお話はどう捉えればよいのかと考えてしまう作品です。
この本は1995年の発行ですが、元は1975年に中央公論社の「戦争童話集」
ストーリーは、雌の方が大きいクジラの世界で大きくなりすぎて雌クジラから気味悪がられて仲間から離れて暮らしている雄クジラが日本海軍の潜水艦を雌クジラと間違えて恋をし、その潜水艦を守るために米軍の爆撃を受けて死んでしまう。敗戦を知りながらも潜水艦の乗組員は米軍へ決死の攻撃をかけるつもりであったが、クジラの死を見て、せっかくクジラが助けてくれたのに無駄な殺し合いをすることはないと考えをあらためる…というものです。
そもそもクジラは何を象徴しているのかと考えてしまいますが、戦争なんだから理屈は関係ないんだという考え方もあるでしょう。
勘違いによってクジラは命を落とし、潜水艦の人々を救うことになります。潜水艦の人々はもちろんクジラの気持ちは知りません。それをどう感じるか。
現実に起きることは、作り物である物語のように一貫してものではありません。この物語はそのことを示しているのでしょう。そしてそのことをどう受け入れるのか。
大きすぎるクジラは国民総動員で真実を知らされず徴兵されていった人たち、潜水艦の乗組員は銃後に残された人たち。潜水艦の今後の針路は、その後の日本の進む方向と考えると腑に落ちる気がします。
この作品は1989年、にっかつ児童映画で短編アニメーションが製作されて学校や地域上映が行われましたが、映像ソフトとして販売されていないため、一般には視聴することが出来ません。
2004年にテレビ朝日とシンエイ動画の制作で設定を付け加えてアニメ化され、そちらは映像ソフトとして観ることが出来ます。
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