2021年3月29日月曜日

【となり町戦争】三崎亜紀 著 2006年12月20日第1刷 集英社文庫

 2004年の第17回小説すばる新人賞受賞作品でデビュー作。

地方自治体同士が公共事業として戦争をする。発表当時話題になったし映画化もされた作品。

文庫版では特別書下ろしの「別章」が収録されています。


おそらくこの作品を楽しむには2つのハードルがあって、一つは直接関わらない住民には見えない戦争。マスコミの発達した世界ではあり得ないことだけれど、無関心でいれば気づかないことは多いのかもしれません。自治体同士が協力して公共事業としての戦争を成功させようという世界で住民も自分のことしか関心がなくマスコミも報道しないというこの世界に入り込めるかどうかが一つのハードル。

もう一つはお役所言葉や仕事の進め方。これに馴染みがあるかないか。馴染めるかどうか。

最初に読んだ頃はそこでつまずいた記憶があるのですが、今回は私もそういうことに慣れ親しんだこともあり、全く違和感なかったのですが…


公共事業としての戦争というのは極端だけれど、戦争産業というものは実際に存在するわけで、まったく生産性のないことに消費される兵器。それにより壊された街を再生するための実需は産業振興のツールになりえるというのは事実で、実際に日本も朝鮮戦争による特需で高度経済成長を実現したという話もある。まさに隣の国の戦争だ。日本の国土とは関係のないところで行われた戦争であったので生産設備に被害を受けることもなかったわけだけれど、ここで描かれる戦争は公共事業であるからあらかじめ期間限定で戦闘域も決まっているということで被害はあらかじめわかっていて限定的である。

つまるところ、戦争という概念をスクラップ・アンド・ビルトの公共事業と捉え、今回のコロナ禍のように経済的貧困でも人が死ぬという理屈を通せば、行き詰った経済を回すためにはこの事業を通して一定数の人が亡くなるのもやむを得ないという理屈も極論ではあるが心の中で思っている人がいてもおかしくはない。

ここに描かれる公共事業としての勝ち負けのない戦争なんてないわけで、そういう意味では「これが戦争」であるとか「町を守るために」という気持ちにはならない気がするけれど、それは従来の戦争という一つのイメージに囚われている。そういう世界の戦争を分かっているはずの舞坂町役場となり町戦争推進室の職員である香西さんの行動は、実は彼女が語る事とは全く別の真実があるのかもしれません。語り手である僕(北原)を救うために事前にとなり町に潜入していた臨時職員亡くなり、弟も志願兵として最初の戦闘で亡くなるという経験をしてしまっても。

この物語を読んで見えない戦争を怖いと思うか、自分には関係ないただの物語と思うか。また、僕と香西さんの関係についてどう捉えるかというのがポイントなのかなと思いました。


その世界の特殊性は別章でも。

別章では亡くなった香西さんの弟の元恋人のお話で、知らず知らずのうちに戦争に関わっているちょっと切ないお話。

自分が扱っている商品が具体的にどう使われるかなんてわからない。

正義の意味は立場により変わるし、自分のやっていることの結果を知らないでいるより、知って向き合うことは大切だ。でも、多分それは理想を追うことを諦めていても理想を考えて外に出ようとしない人には受け入れがたいのかもしれません。

理想から覚めたつもりで就職して分かった気になっていても、現実はもっと多様だし残酷なこともあるということでしょうか。

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