Noismの名は新潟市に住んでいれば目にする機会は多い。とは言っても実際に目にすることは少ない。
コンテンポラリー・ダンスという言葉は知ってはいても鑑賞する機会は少ないし、料金を支払って鑑賞する習慣を持つ人がどのくらいいるかといえば劇場専属のダンスカンパニーは日本ではNoismしかないということであれば、考えるまでもないと思う。
その新潟市も現在は文化政策を重視した市長の交代とともに廃止の検討がされ、存続のための条件が付けられている。
この本はNoismの存在と理解を拡げる事を企図して作られたものだとすると、それは果たされていない。
芸術監督である金森穣さんについてもNoismというダンスカンパニーについても語られていない。いろんな人が集まっている、そこにある空気を描きたかったんだろうなと思うけれど、散文的な言葉も十分吟味されているかどうかわからない文章の羅列、物語の一部を切り取ったようなエピソードでは何も伝わらないし、逆に訳が分からないものととられかねずマイナスに働いたのではないだろうか。
新潟市という個性を失い人口が減少している地方都市で人を惹きつけるためにどうするかという政策的な面で求められたものの一つがNoismであったろう。
文化やスポーツはうまくいかないからと言って簡単に投げ出せばそれまでのものが無になる。スポーツではアルビレックス新潟が新潟県も含めた自治体の支援を受け、サッカー文化を築いた。芸術の面では2009年から3年に1度開催されている水と土の芸術祭があり、今年は開催年にあたるが新型コロナウイルの影響なのか話が聞こえてこない。もともと市長の交代とともに廃止の議論が出ていたと聞くので、このまま廃止となる可能性もあるだろう。
“どういうものかをきっちりと伝えること。”
“どうやって興味を持ってもらうか。”
この本に求められていたことはそういうことであったと思うのだけれど、残念ながら達成できなかったし、それとは別に読み物として成立しているというかという点でも難しい。
とても残念なことだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿