2021年1月25日月曜日

【げいさい】会田 誠 著 文芸春秋 2020年8月10日第1刷発行

  会田誠さんと言えば、社会的メッセージ性を持つ造形作品を発表している美術家で、何か物議をかもしたことがある人。作品としては、新潟市美術館の何かの特集展示の中で1作品展示されていて面白いなと感じたことがあるくらいの知識しかない。

特段美術に詳しくない自分には、その展示ですぐ近くに展示されていた東京オリンピックのメインスタジアムとして実現しなかったザハ案の模型を興味深く見た。

 作品的にはタイトルからしてメッセージを明らかにした作品で、饒舌で自分の意見をはっきりと持った人なんだろうなという印象を持った記憶がある。


 本の帯には“美術大学の学園祭「芸祭」。1986年の一夜のできごと。 第一線を走ってきた鬼才だからこそ書ける日本美術界への真摯な問い。なおかつ明るくも切ない青春群像劇!”というキャッチがある。実際の物語は、その一夜へ至る経緯が長いから正確ではないのだけれど、キャッチコピーなんてそういうもの。

 会田さんが東京藝術大学の受験に失敗し、美術予備校で仲間と過ごしたエピソードや悩みがその一夜に集約されるという点ではあながち間違ったコピーでもないか。

 日本の美術学校、いや美術には限らないけれど、実技で作品製作があるのであれば、それは大きな悩みなのだろうなというのはわかる。

 基礎を覚えるという意味で決まった考え方、技法を思える必要があり、それが選考基準となればその枠にはまらない者はそこへ進むことができない。

 例えば自分の小学校の頃の経験で、算数で正解しても教えられたとおりの解き方をしないと先生は困った顔をしてどう解いたのかを聞き、その解き方が別の形で正しいものであれば条件付きの〇か△ということがあった。

 採点する側は理解度を測るために教えたとおりのことをやることを求めるわけで、結果正解しても、見方によって素晴らしいものを作ってもよい点数はもらえない。殊に主観が左右する創作物なら採点の偏りを無くすためにも必要悪なのだろうなと思う。

おそらくそれは学ぶ順番の問題で順番は人それぞれ。その人には今はそれが合っていて別のやり方はこれから覚えようということが出来れば別なのだろうけど、それは否定され、その時に決まりきった型にはまった人間を選ぶことで伸びるべき発想が摘まれてしまうということがあるかもしれない。


 会田さんがなぜ美術家になったのか。1986年11月2日から3日かけて多摩美術大学の学園祭(芸祭)のなか日から最終日にかけての出来事。

 自分は美術とは縁がないし浪人もしなかったけれど、大学時代を振り返って、エンジンは回っているけどギアがかみ合わないで空転する、そんな風に見える友人がいたことを思い出した。

よいエンジンであれば、誰よりも前へ行けるんだろうな。

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