単行本の発行は1997年7月。20年以上前に書かれたものだ。
講談社から季刊で発行されているメフィストという文芸誌に連載されたころに読んでいて、あれからもうそんなに時間が経ったのかと驚いた。
パソコン通信のモデムの音とか書かれても、何のことかわからない人もいるだろうな…
「三月は深き紅の淵を」という名の本を求める4つの中編からなるこの本は、それぞれの物語の中の登場人物がその本を読むことを切望するが読むことができない、あるいはその本を書くことになる物語。
「子供のころ本読んでても、誰々作、って意味が分からなかったの」という文が出てくるが、物語と自分が同化する、物語の中を生きているという暗喩なのだろう。
一つ目の物語は、会社の会長に大きな屋敷に招待され、屋敷の中のどこかにあるという「三月は深き紅の淵を」という本を探す会社員のお話で、本はこれから書かれようとしている。
二つ目の物語では本は書かれていて、なぜその本が書かれたのかを知ることになる。
三つ目の物語は、その本を書くように導かれる。
四つ目の物語は、この本を書いている作者の創造の過程の混乱が描かれているのだろう。作者の自分語りも入っているのではと思われる。
タイトルは同じでもすべて別の物語であろうけれど、この本を読んでいる読者にとってはすべてを含め一つの物語になるものだ。
物語の出来の良し悪しは別として、個別の物語は物語として、全体を読むと本を書く/読むという行為の姿が現れてくる。
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