かつて映画にはサイレントの時代があった
しかし日本には
真のサイレント時代はなかった
なぜなら
「活動弁士」と呼ばれる人がいたから
これはハードルが高い。
映画をヒットさせるにはわかりやすさが必要だけれど、サイレント時代の映画の撮影や当時の習俗を描いても伝わらない。しかもお金かかるし…
いかに活弁だけに特化させるかなんだろなと思って観たのだけれど、想像以上に真っ向勝負をしていた。
時代物は、ドラマを主役に細かいところは描かない。人間を描くから習俗なんて関係ないとすっ飛ばしているものばかりに感じる。
しかし、活動弁士を主役に描くということは当時の暮らしの描写を避けては通れないわけで、当時の暮らしの様子がわからなければ、なんだろこれという事も出てくる。映画の歴史を知っていればわかることも、興味がなければ「なにやっているんだろう」で終わり。
スクリーンを出るときに「面白いのにお客さんいないね」って言っていた映画好きそうな年配のご夫妻がいたけれど、舞台を理解できる・理解しようとする人にとってはその通りでも、ただスクリーンを眺めて与えられるものを楽しみに来る人には「わからない」の一言で終わると思う。
映画的に価値があると思うけれど、観る人を選ぶ映画は興行的には厳しい。
このチャレンジをした人たちの勇気に敬意を。
主役の尊敬する弁士山岡秋聲の「映画はそれだけで成立しているけど、説明は映画がなければ成立しない」というセリフはその通りかもしれないけれど、主任弁士の茂木貴之の説明はフィルムのピッチまで変えさせる。主役の染谷俊太郎(國定天聲)の最後の説明は映画から離れたオリジナルのもの。現代で言えばサンプリングをつないで作品を作るDJみたいなものだなと思った。
説明が足りなかったのは、ヒロイン栗原梅子(沢井松子)のところだろうか。
子供のころ、なぜ女優になりたいと思っていたのか。ここに描かれるように日本映画初期には女優は存在せず、女形が演じていた時代なわけで、設定からして洋画を観ることができる境遇ではないだろう。
最後に弁士は去り、女優が誕生する。(創生期(だけじゃないかもしれないけど)の日本映画とやくざは切っても切れないというところも。)
日本映画史の流れを描いているとも言える。
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