2016年1月19日火曜日

【わたしを離さないで Never Let Me Go 】 カズオ・イシグロ 著 土屋政雄 訳 ハヤカワ文庫 2008年8月25日発行 2015年12月23日第45刷 

この1月15日からTBS系でドラマが始まったようだけど、この作品をどう描いているのか…

著者のカズオ・イシグロさんは1954年長崎生まれで1960年に家族とともに渡英された方で、『日の名残り』でブッカー賞を受賞した時には日本のマスコミも取り上げていました。
日本生まれの作家が英語で小説を書き、訳者が日本語にする。出自を考えると変な気もするけど、5歳で日本を離れていれば話す事も困難だろうし、まして表現は難しい。仮に話せても言葉が違えばテイストも異なるし、精緻な言葉と構成は専門家に任せた方が正確に再現できるのだろうなと。

この作品は、キャシー・Hの回想と独白で綴られています。
彼女と女友達のルース、男友達のトミーの3人が中心となり物語は進みます。
心の動きやエピソードの描き方は実に自然で繊細。自分も子供の頃似たような人間関係で、そんな風に考えた事があるかも…その描写力には舌を巻きました。

主人公の3人は同じ施設で育ちますが、その施設は提供者と介護者を育てる施設。
彼女たちは病気の人たちに臓器移植の臓器を提供するためのクローン人間なのです。
施設でははっきりした事は教えられない。でも時間をかけてそのようなものとして刷り込んでいく。
生殖能力を奪われ、長く生きることすら無い、介護者として以外は社会生活を営む事ができない、そんな未来の無い生を、意味あるように生きるのか。そんな事が可能なのか。

もちろん現実の世界では、人道的な見地から表向きそのような事は行われる事はありません。
でも世の中を見まわして、誰かのために奉仕するだけで使い捨てられる生は無いだろうかと考えてしまいます。
コーヒー豆やカカオ豆の農場で働く人の多くは労働力を提供するだけで、コーヒーやチョコレートを楽しむ事はできないそうですし、安い労働力を求めて工場が出来た地域でも価格競争がある限り待遇の改善は難しいでしょう。生まれた所によって、その人生が大きく異なるわけで。
そういう事を含め、読んだ人が何を感じ取るのか。
作者の描写力の前に、逆に考える力が萎えてしましそうですが、ぼくたちは考えなければならないのかもしれません。

このお話に登場する提供者や介護者以外の人たちは、彼・彼女たちにパーソナリティを認める事をしません。というか、自分達と違うものとして考えないようにしているのです。
彼・彼女たちの待遇を改善しようと考えていたマダム達でさえ。
自分達と異なるものを認めないという意味では、表面上、現在の世界情勢にも似ています。
本質とは異なる「言い訳としての区別」。
イスラムと非イスラム、移民と定住者、お金持ちと貧困者…
違うからという理由で相手の事を考えないという行為について、ぼくらはどうすればいいのか。
思考停止は楽チンですが、本当の理由はそれでいいのか。
ぼくらは、そういう問いを持つべきです。

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