2011年7月22日金曜日

【たった一度のポールポジション】 一志治夫 著 1989年3月 講談社

1983年10月23日、一人の天才ドライバーと言われた青年が富士スピードウエイで事故死した。享年23歳。
高橋徹。
アイルトン・セナ、鈴木亜久里と同じ1960年生まれ。
当時、F3時代にはタイムで鈴木亜久里を凌ぎ、F2で中嶋悟とバトルを演じて見せた男。
F2デビュー4戦目でポール・ポジションを取った男。
そのデビュー・イヤーでサーキットに散った男。
その生い立ちから、サーキットで事故死するまでを追ったノンフィクション。

その事故シーン、ニュース映像で見た覚えがある。
当時、日本グランド・チャンピオン・シップというレースを戦っていたウイング・カーという形状のレーシーング・カーが浮き上がり、逆さになって滑空し、防護壁に激突する。
パーツが飛び散り、観客も巻き添えにした大クラッシュ。
当時のトップ・ドライバー星野一義、中嶋悟を猛追する期待の新星の事故死は、それなりに大きく報じられたし、巻き添えで亡くなった女性の遺族がサーキットとレーシング・ドライバーに対し、損害賠償請求を起こしたという後日談も覚えている。

確かに彼は生き急いだんだろう。
それは、たまたま速く走る事が出来たからで、本来は体力や筋力をつけながら、もっとじっくりその技術を身につけるべきだったんだろう。
ただ、その未完成さが彼の魅力の一つだったのかもしれない。
23歳のルーキーは、自力で早く昇り詰めてしまったがために、挫折を落ち着いて乗り越える術を知らなかったという事なんだと思う。

この事故をきっかけに、国内のレース界では若手ドライバーの起用に慎重になり、結果的に若手ドライバーの成長を阻むことになったとか。
実際、最近の日本人の若手レーサーは、カート経験以降、いきなり海外へ活躍の場を求めることになったような気がする。
より一層お金持ちのスポーツになってしまったんじゃないかな。

取材に行った著者に中嶋悟は「彼に一つだけ言える事があるとすれば、残念賞、だね。」という言葉。
プロとして、他人をどうこう言う事はないという言葉だろうけど、読んだ当時は、なんて冷たい・・・と思った。
実際、女性の遺族に損害賠償で訴えられた高橋家に対し、レーシーング界から積極的に誰も助けの手を差し伸べる事が無かったという記述に至っては、事実であれば、なんて酷い世界なんだろうと思った。
日本のレース界は、レース中の事故に対し、レーサーがその損害賠償義務を負うという事を認めていたという事だし。
当然、サーキットでの観客の安全確保は、専らサーキットやレースを運営する側にあるべきだ。
そうでなければ、レースなんかできないと思うけど。
今のレース界は、当然変わっているんだろうな。

日本カー・レース界にとっては一人の天才ドライバーだけでなく、自業自得とはいえ、多くのものを失わせた事故だったんだろう。
そういう事を描いたノンフィクションだ。

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