規律正しく、運命を受け入れて他人のために自分を犠牲にする…中国系アメリカ人の著者から見た日本人像なのでしょうか。この作品が2013年度ヒューゴー賞短編部門の受賞作品という事は、多くのアメリカ人にそういう印象を持たれているのでしょうか。
日本は地形的、地質的、また気象の面でも自然災害が多い国で、その災害に対する日本人の対応は、確かに規則正しくルールを守り運命を受け入れているように見えるかもしれません。物語が書かれた後に起こった新型コロナウイルス感染症の対策についても、暴動は起きないし、政府を厳しく指弾することもなく出来る範囲で粛々と行っていると見えるでしょう。
舞台は小惑星の衝突で滅亡の危機を迎えた地球。人類は、脱出するための宇宙船は利益重視のためにまともなものが出来ず、国際間の共同避難事業も国家間の利害の駆け引きで決裂し、小惑星の軌道が逸れることを期待して争いを続けます。
日本でも政府が国民に約束した宇宙への脱出船は用意できず、意味のない避難命令を出し、国民は粛々とそれに従います。一隻だけ間に合った宇宙船は、主人公の日本人の少年の両親のかつての同僚の用意していたもので、両親が頼み込んで息子一人だけ乗せてもらうことが出来ます。少年はただ一人生き残った日本人となるのです。その宇宙船が危機に陥った時、彼の取った行動は…
この短編小説は、その日本人少年の、地上での出来事や少年と父の会話、宇宙船の中での行動の物語です。
少年の行動は船全体を考えれば必要な事です。そして行わなければ、いずれ自分を含め全員が死に直面する可能性のあるものですから、その立場になればやるべきことでしょう。
しかし、その立場になった時に出来るかと言えば、誰でも簡単にできるとは言えません。
それを日本人のメンタルとして行うよう読める流れは少しうんざりします。
政府(あるいは人)を信用しすぎてはいけない。
用心深く物事を準備する人がいる。
自己犠牲をいとわない人がいる。
それは、おそらく世界中どこの国でもある事なのではないかと思うのです。
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