アーサー・C・クラークといえば世界のSF小説界の巨匠。物語にみられる科学的知見と考察は他の作家にも影響を与えているのではないかと思います。
特に「2001年宇宙の旅」はスタンリー・キューブリック監督の映画作品としても有名です。
ということで中高生の頃に読んだ記憶があるのですが、その時はまるで心に落ちなかったようで、中身についてほとんど覚えていませんでした。島田雅彦さんの「カタストロフマニア」の後半は「幼年期の終わり」的という話があったので、そうだっけ?と読み返してみる気になったもの。その点について結論だけ言えば、終末ものという以外は全くの別物だと思いました。
お話は米ソの宇宙開発競争時代にはじまります。
ドイツの優秀な科学者が米ソそれぞれに分かれてライバルとして宇宙ロケットの開発に携わり宇宙開発の第一歩を踏み出そうとしている時に巨大宇宙船が地球にやってきます。
宇宙人は姿を見せず圧倒的な科学力の違いを以って地球を統治します。圧政ではなく、自らの持つ科学技術を提供することで地球から貧困は一掃され、抵抗はあったもののその施策により国家や地域間の対立もなくなり差別や対立もなくなります。
与え、地球人に自由を与え、統治するだけの彼らはオーバーロード(上皇)と呼ばれますが、彼らは何者で目的は何なのか。それがこの物語の核心で、進化の一つの形を示しています。
登場する機器の描写は今から見ると古く感じますが、物語を構成する概念は全く古くありません。
最初は地球人類に姿を見せず統治していたオーバーロードは、十分な時間が経過したのちに姿を見せます。その姿は伝説に登場する悪魔に似ています。地球人類に嫌悪感を抱かせないため、十分に支配が行き届き、慣れるまで姿を見せなかったのです。彼らは地球人類の宇宙進出を含め、彼らの方針に反するものを除いて自由を認めます。それは、地球人類の進化の種を見つけるためでした。
地球の統治者であるオーバーロードを支配するものとしてオーバーマインドという存在が登場します。具体的にどういう存在なのかは描かれませんが、定まった形を持たない発行体で、地球人類は新しい世代に進化し、オーバーマインドと一体になり、地球も消滅することになります。
地球の最後に、なぜオーバーロードの姿が悪魔として伝えられたのかという問いについて、オーバーロードは、この結末について種の記憶が何らかの形で過去に伝わったのではないか推論を述べます。種の記憶と時間の概念など今の科学では分からないだけで、いわゆるオカルト現象などは、人の認識する3次元の世界に別の次元の行為や物が干渉して起きるものという考え方もありますが、オーバーロードもそれ以上の答えを持っていません。。
その存在は進化の袋小路に入り込みながら現在の延長にとどまりオーバーマインドに仕えるオーバーロードと文明の進化より大きな存在へと同化していく地球人類。選べることではないのでしょうが、作者はいくら努力しても超えられない存在のあるオーバーロードより、絶対者に同化して自らの個性が無くなる地球人類を優位という描き方をしています。
その答えはそれぞれの立場によって変わるのかもしれませんが、個人的にはあまり良い感じはしません。しかし、宇宙が生まれた時は一つの存在であったと考えられることから、宇宙に寿命があるなら一つに収斂していくと考えるのは必然なのかもしれません。
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