主役は、夫を宇宙人に乗っとられた妻(長澤まさみ)とその宇宙人の夫(松田龍平)。
言葉の概念を失った人はどうなるかという興味もあるけど、テーマは普遍的で、最終盤で小泉今日子演じる女医が「彼らが今来たのには意味があると思う…」というセリフに集約されるんじゃないかと思う。演劇の映画化という事だけど、原作者はそれを伝えたいと思っているだろうし、今回の黒沢清監督による映画化は、そのための大きなステップだと思っただろう。
では、その映画はと言えば、演劇の脚本を直しきれない上に予算が無い中で映画化したんだな…(劇は見ていないけど)観劇ばりに脳内補正が必要な作品になってしまった。もっとお金がある製作者か、このテーマを映画の枠の中で描くことができる製作チームだったら、映画のヒットと言う形でもっと広く伝えることができただろうと思う。
予算が無ければ、キャスティング費を削ってCGにお金をかけられなかったか。役者さんの演技は素晴らしかったけど、何を伝えるかを考えた時の優先順位はどうだったのか?と考えてしまう。
演劇では製作者、俳優と観客の間に暗黙の了解としてある省略の手法は、映画では通用しない。舞台の制約が無い映画では、見せて当然と思われるシーンはきちんと見せなくてはならないし、それを製作する事が出来なければ別の形で描かなければならないけれど、この作品ではそれが出来ていない。時々ハリウッドと比べてお金が無いから…みたいな言い訳をする人がいるけど、そりゃ金使えばその人じゃなくたって出来るんだよね。
題材自体は面白いだけに、ちゃんとした作品で観てみたいな。
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