華族の箱入り娘で女学生の主人公が、運転手でありボディーガードでもあるベッキーさんに導かれるように謎を解いていくのだけれど、華族女学生の日常の描写が興味深い。
昭和7(1932)年、5.15事件・上海事変の年から語り始められたこの物語は、昭和11(1936)年、2.26事件の年で幕を下ろす。わたしたちはこのまま満州事変、大東亜戦争と戦局の拡大と敗戦と、悲惨な道を歩いていく事を知っている。その流れの中で、この人たちはどのような人生を歩む事になるのか。
表題の鷺は、能の「鷺」で、雪は2.26事件の日の雪。帝の勅命によって降った鷺に2.26事件の将校を見、その将校の中の一人を想った主人公が雪の降る日にかけた偶然の間違い電話を掛けた先を確かめた主人公の気持ち。物語の謎解きよりも、すれ違った二人の触れれば融けてしまうような儚い関係が心に残る。
(鷺 http://www.tessen.org/dictionary/explain/sagi)
この世界は第1作の『街の灯』から読み進めた方がより深く味わえると思う。謎解きミステリーというよりは、好奇心が強い女学生の成長の物語であるのだから。
この本には『不在の父』『獅子と地下鉄』そして表題作の『鷺と雪』の3編が収められている。
『不在の父』で、失踪しルンペンとなった滝沢子爵の言葉「身分があれば身分によって、思想があれば思想によって、宗教があれば宗教によって、国家があれば国家によって、人は自らを囲い、他を蔑(なみ)し排撃する。」残念だけれど、これは時や場所を問わず真実なのかもしれない。『鷺と雪』では一食十銭で腹を満たす事がある庶民と、いたずらのために十円のカメラを買う華族について主人公は考えるが、それは個人によって変えられるものではないという事を思う。2.26事件の将校は変えようとするが、それは天皇を戴く事で実現しようとするため、降らざるを得ない。そして、国という機械が望んでいる事は止める事が出来ないと考えるものもいる。
この構図は、世界を一つの国と考えれば今の情勢に当てはめる事が出来るのではないだろうかなどとも思う。
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