審判って、ちょっとやってみれば分るけど簡単な仕事ではない。
主審は、副審2名と協力しながらプレイを予測して、ゲームの展開を予測し、ボールのある範囲を中心に試合全体をコントロールする。
草サッカーとかみたいに、自分と大してプレーのレベルが変わらない試合を吹くならまだしも、相手は日本のサッカーエリート。
体力や体調の維持はもちろん、両チームの戦術やプレイの傾向を頭に入れておかなければ、とてもついて行けるものではない。
そんな中で、何かとエキセントリックなイメージが付いて回るJリーグのプロフェッショナルレフリー、家本政明さんが審判についての思いを書いた本。
審判の基準はFIFAによって定められる。
その基準を守りながらゲームをコントロールする。試合毎に見落としはないか、正しい判断をしたかとインスペクターに採点されるストレスは、想像に難くない。
試合を観ていて、流しちゃえよって思う事があるけど、アドバンテージを取ることが適当かどうか。見落としたわけではないという事を、選手とインスペクターにアピールしてプレイ・オン。
吹いちゃった方が間違いではないだけに、簡単。
簡単な方に流れず、自己抑制が効いていないと、つまらないゲームになってしまう。
審判が何をどう考えているかって、なかなか知る機会はないから、こういう本は貴重だ。
家本さん、もっと選手とコミュニケーションをとって行くとか、クラブの練習にも出かけて行って基準を示すとかやった方がよいという意見を持っているようだけど、totoとの絡みもあって難しいという結論のよう。
主審 家本の名前を一躍有名にした2008年のゼロックス・スーパーカップ。
その年のジャッジの基準を示すというゲームで、厳密にファールを取った結果だという。
そういう事件を自らの口で語るって言うのは、良くも悪くも勇気があるなぁって思う。
いくら説明しても、立場が違えば理解しあう事は出来ない。
でも、審判の事を理解してから批判しなければ、何の進歩も無いからね。
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