2010年11月3日水曜日

「秋天の陽炎」金子達仁著 2001年

1999年に創設されたJリーグ ディヴィジョン2、勝ち点1差でJ1昇格を逃した大分トリニータの石崎監督と選手たち、そのゲームで笛を吹いた越山主審、対戦相手のモンテディオ山形の選手のドキュメント。


このドラマの一端を担ったのが新潟市陸のアルビレックス新潟VSFC東京のゲーム。
この年、バリバリの昇格候補だったFC東京に対してアルビレックス新潟は、このシーズン3勝0敗で迎えた最終戦。
まあ楽勝というものではなく、勝負の綾が全て新潟有利に出ただけという感じだったと思うが、そんな相性みたいなものもあって、大分的には、昇格を争うFC東京が新潟に勝ったってのは嫌な予感を感じさせるものだったんじゃないだろうか。
大分が、引き分けたというニュースを聞いたとき、新潟が負けたのは悔しいけど、大分の昇格はまだ早いよねって思った。
その大分のゲームに、こんな物語があったんだ。

主審の判断、アクシデント。それに対する山形の選手の不信。大分の昇格に向けた周りの期待と選手の重圧。それぞれの立場は理解できる。
自分も、審判に対し心の中で悪態をついていた事もあるし。(でも、1回自分でちゃんと審判をやってみると、また違う角度から見えてくるものがあって、一概に審判に不信感を持つ事は無くなったけれど。)
それをわかりやすく提示してくれた本だと思う。
昨今、審判に対するパッシングが多いけれど、発言する人は一度読んでみてほしい。

この年、大分の監督をしていたのは前年まで山形の躍進を支えた石崎監督。
翌年、成績不振で大分の監督を解任され、その後監督に就任した川崎でも勝ち点1差に泣き、柏ではチームを昇格させたものの解任。現在は札幌の監督をしている。
スーツよりジャージ姿が似合い、朴訥とした広島弁をしゃべり、監督を慕って一緒に移籍してしまう選手が居るけど、イマイチついてない監督。

そんな姿を見つつ、2001年11月2日、大宮公園サッカー場で自称大宮サポの大分のNさんと(大宮ホームで大分のゴール裏の方が多いじゃんと茶々を入れながら)大分の昇格を見たり、1999年新潟市陸のピッチに乱入したFC東京サポの人と飲み友達になっていたりと、時の流れを感じる今日この頃。

サッカ-はこれだからやめられない。

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