2021年4月9日金曜日

【山人(やまど)の話 ダムで沈んだ村「三面(みおもて)」を語り継ぐ】語り手:小池善重 聞き手:伊藤憲秀 2010年4月10日初版第1刷 はる書房

 この本は奥三面ダムの設置で水没した三面集落(新潟県村上地域振興局地域整備部のHPを参照:https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/murakami_seibi/1214852491843.html)の習俗を記録に残そうと聞き取りを行ったものです。

マタギの里ともいわれた山深い集落はダムが出来なくとも人がいなくなっていただろうなと思います。しかし、住んでいた人たちにとってはかけがえのない故郷で、治水のため、発電のためと言われても集団移転は受け入れ難いものであったでしょうし、その生活の記憶が失われるというのは寂しいことでしょう。

しかし集団移転であったために注目され、記憶を残そうという機運が生まれたのかもしれません。その結果、人がかつてどのように生きてきたのかを知る手掛かりとして残ることが出来たのだとも考えます。

現在のように物品の流通が整備される前、人はその土地でとれるもので生活をしていたことは容易に想像できますが、その生活がどのようなものであったのか。

毎年、いつになったらあれをする。こういうことは行ってはならない。狩りの種類により普段使う言葉は使ってはならず、山の言葉を使わなければならない。

それは確実に収穫を上げるための知恵であったでしょうし、事故や災厄を避けるための決まりであったでしょう。また、ともすれば緩みがちになる気持ちを引き締めるための工夫でもあったでしょう。

その生き方は集落移転後、三面に魅せられたもの有志で語り手の小池さん夫妻の指導の下でソバを蒔き、刈り取りの日程を決める際の「ソバと都合にあわせて」という言葉に見ることが出来ます。作物や山菜、山の生き物。すべて相手の都合にあわせて初めて得ることが出来る。それは神様からの授かりものであるという考え方なのでしょう。

なんでも買うのが当たり前で、行動の制約の少ない今の暮らしは便利ですし、豊かであると感じます。しかし、新しいもの・便利なものに追われ、それを持っていないことが貧しいと考える世界は本当に豊かなのだろうかと疑問に思ってしまいます。

自分は(おそらく完ぺきではなく)最善の努力をして、得られたものでありがたく生活をするというのは物質的には豊かでないにしろ、ゆとりのある生活なのだろうな。語り手の小池さんが戻りたいというのはそういう事なのでしょう。


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