2010年12月23日木曜日

宗教の役割

今日は天皇誕生日。
祝日で仕事が休みってのは、うれしい半面、年末進行で忙しいときなんてイライラが募ったりもするのだけれど、それは本来、対処できない自分自身の問題。
ま、クリスマスも近い事だし、宗教について考えてみた。

日本という国は、太古の昔に天から神が降りてきて創った国で、その子孫が今の天皇家という事になっている。
国造り神話がどうって話は置いといて、公式に認められる家系図が千年以上続いてるって、多分世界的に稀有な存在だ。
天皇家は、祖先の神を祀る祭主。
神道では八百万(やおよろず)の神々というけれど、神社で主神として祀っているのはやっぱり国造りに関係した神々が多いと思う。
一方で、天皇家は仏教伝来以降、仏教にも帰依していて、お寺も数多く建立している。
そこいら辺が現在に至るまで、ぼくたちの生活の中で神仏習合という形で影響をしているんだろう。
神も仏も等しく拝むという柔軟性は、君臨すれども統治せずの象徴天皇を何の違和感もなく受け入れる下地になっているんだと思う。

世界最大宗教といわれるキリスト教について、ちゃんと勉強をした事が無いけど、関連する書物は読んできた。
なぜか定期的に部屋の本棚から現れる「禁忌の聖書学」(山本七平 著)は、聖書の原典をあたり、記述の歴史的背景や意味を考察している本。
著者本人はキリスト教の洗礼を受け、聖書学を専門とする山本書店を創業したキリスト者。
今夏、世の中に山本学って言われるものがあるっていうのを、ネットで調べて知ったけど、そういえば高校くらいの頃に「実体語・空体語」って、それについて読んでた事があるのを思い出した。
その知識から分析された聖書の断片の集まりからぼくが感じたものは、自分がよりよく生き残るための物語の創出。
今身近にある本はそれくらいかな。

話は変わるけど、
なぜ、人を殺してはいけないのか。
なぜ盗んではいけないのか。
なぜ自殺してはいけないのか。
それを問われた時に、どう答えるか難しいって言う人がいるけど、そんなの簡単。
人間は社会の中で生きているんだから、その社会を壊すような事をしてはいけない。
そういった行為は、自分が生きている社会の一部を壊すという事だから。
社会の中の一人という事が嫌なら、誰もいない所で一人で暮らせばいい。出来るものなら。
ってだけの話。
その理屈は、そこに社会があるという共通認識が無ければ通用しない。
社会なんて、いろんな人たちの寄せ集めだから、いろんな規範があり、多分みんな分りあえるなんてない。
そういう世界でのルールをわかりやすく守らせようとしているのが宗教。
本来は、それぞれの帰属する社会の統一規範なんだと思う。
人は、文明が発展してくれば、そういう半ば強制的な規範を卒業して、お互いの文化を尊重して社会を構成していくのが自然の流れじゃないかなと思う。
まだまだ先は長そうだけど。

0 件のコメント:

コメントを投稿