ロングショットって、静物的な見え方をする。
あえて、そういう見せ方をして客観性を出そうとしているのかもしれない。光の使い方も、えらく思い切っている。
と、公開時に劇場で観た時に思った。
昔、勝新太郎が『警視K』というテレビドラマをやった時に、リアリズム大事にするという事で、ロクにせりふも聞き取れないものを作った。
でも、テレビドラマにしても、映画にしても、観ている人がわかってこそのエンターテイメントだよなと思った。
リアリズムというならその上でのリアリズムであるべきだ。
この映画の画作りは、それの映像版かなと思う。
観る人の解釈に任せる部分が大きい。フィルム・メーカーとしては、それで良いのかな。
もっと、言えばマンガの描き割りみたい。あれは、その背景に文字情報があるけど、映画にはそんなものはない。
この映画を観る人は、全体の画を見て、トーンやせりふや演技を見て、せりふを聴き、自分で感じ、話を構築することを求められる。
ただし、映画の先はわからないから、その時点その時点で。そして、最後にもう一度映画を思い出して、物語を再構築するのだ。
それが素晴らしいという人も少なからずいるけれど、個人的にはやりすぎ感がある。
実際に見えるように見せるのではなく、もっとはっきり見せたいように見せる。そうしないと、わけのわからん画の積み重ねになる危険性があるということ。
説明抜きで暗転のまませりふだけ聞こえてきたときには、???という感じだったし。
子供の頃、四国に死にに行きたいと家出をしてそのまま失踪した祖母を引きとめられなかった女(江角マキコ)。
子供が生まれて幸せに暮らしていたのに、夫(浅野忠信)が鉄道自殺。
その子供を連れて、同じく子供を持つ男(内藤剛志)と再婚して奥能登へ。
死匂いの染みついた明るい尼崎と、生に溢れた、どんよりとした奥能登。
その奥能登の生活は、彼女を徐々に再生させていく。
そんなお話。
ちょっと昔の日本の風景という感じが綺麗です。
是枝監督の初の長編映画。江角マキコ初の映画出演作品。
以前知り合いに、好きだろとDVDを貰って、好きという訳ではないけど、分らなくはないなと言った作品。
この監督、14年後に撮った『空気人形』もそんなところがある。それは、もっと分りやすく、映像的にも人に寄って撮っているけど。
0 件のコメント:
コメントを投稿