昨日、友人のNくんが最近宗教にはまっているという事で、人と社会の関わりと成り立ちを久しぶりにしゃべった。
あ~久しぶり。いつ以来だろう。
大体こんな事は生きていれば誰でも感じるはずのことで、何とか理論などと言われる筋合いではないのだけれど、あらためてまとめてみる。
言ってみれば、人間は一人一人が神であって、宇宙である。
なぜなら、世界を認識する私がいなくなれば、私にとってのあなたも無くなるからだ。
あなたにとっての私は、当然主客が逆転するだけ。あなたがいなくなれば、あなたにとっての私も無くなる。
輪廻転生を説く宗教では、私がなくなっても次の生があるのだから、無くならないと言うかもしれないが、百歩譲ってそうであっても、前世の記憶なんてないぼくにとっては、その関係性はそこで終わり。
上の階層があるんだという主張に関しては、ぼくには見えないのでね。
社会は、“私にとってのあなた”の集合体でできている。
そして、一緒に生きて行く場を作っていて、それが社会というもの。
私がいなくなれば、私にとって社会も無くなる。
その社会がその後も続くかどうかは、私が無くなってしまえば認識のしようがないから。
カッコよく言えば、私が無くなった後の世界は、(私にとって・・・私自体がないのだから)無だ。何もない。
もちろん、私はよりよく生きるために、いろんな事をする。
自分が快適に生きるためには、社会を快適にする必要があり、社会は私と、私にとってのあなたの集合体だから、その中のルールに従って。
そのルールは、時代や環境で異なるだろう。
なにしろ、話す言葉ですら私とあなたが全く同じ認識であるかは分からないのだから。
言葉とは、生きて生まれて行く中で身につけるもので、それは当然生まれ育ちや経験と不可分のものだ。
それは人それぞれ違うのだから、同じ言葉を話していても、その意味するところは微妙に異なるかもしれない。(気が合う、合わないとは、意外とそんなところに起因するのかも。)
そういう関係性の中で、私と、私にとってのあなたは、その社会の中で生きてゆくことしかできない。
その生き方の中で、心を軽くする手段の一つとして宗教があるんだ。
決してそれが根本ではない。宗教は生きる選択肢の補助線なのだから。
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