合理的というのは、物事を、一番有り得そうな理屈に当て嵌めて行く作業。
いろんな要因があって起こる事を見えやすい原因から分類して行く事。
この作業が推し進められ、一般化して行くと、結論を基に原因を起こす事が増え、合理化が支配して行き、多様性が失われる。
しばらく前に、エントロピーの増減という議論があった。
社会はエントロピーが減少して行く方向に向かっている。
減少しきった社会は衰退する。
新しいものを生み出す力が生まれないからだ。
その論を推し進めると、学問は、社会を破滅に導いているという事になる。
なにしろ、何でもパターンを定義して、その中に押し込もうとしているように感じるし。
こうなる筈だと理屈で説明して皆がその方向に向いたとき、それに越えられない障害が出ると、その群はほかの選択肢を選ぶのにエラい事になる。
多様性を持つというのは、種の生存には欠かせないのに、最大効率を求める社会では、多様性なんて意味ない非効率な事と認識されてしまう。
合理性が第一というのは、必ずしも正しくない。
サッカーでも、オートマティズムという事があり、きっちり決まり事を決めて組織的にサッカーをやるチームがある。
それはそれで、嵌まるとすごい。
でも、それに個人の創造性が加わったサッカーの方がより魅力的だ。
チェルシーよりマンチェスターU、バルセロナの方が楽しいと思う。
大宮のサッカーより、新潟のサッカーの方が楽しい。
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